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80s岩手県のバス“その頃”掲示板

古いバスのこと、昔のバスの想い出、岩手県のこと、新幹線の看板などの掲示板です
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更新後記(2018.10.9)

#1781名前:管理人時刻:2018-10-09 21:40:58返信報告:報告

今回、また久々に岩手県に足を踏み入れてしまいました。
というのも、大迫営業所(大迫バスターミナル)が今年度中に閉鎖になるというので、わんこ様からお誘いを受け、現地を訪問させていただいたのです。
街道に間口を広げての昔ながらのバス営業所の風情を残す大迫バスターミナルは、1980年代に見た時とほぼ変わらない姿でした。
もっとも、周辺の商店は、店を閉めてしまっているところも多く、裏街道になってしまっている現状でした。
この大迫については、次回以降に記事にさせていただく予定です。ただ、今回の「1970年代奥の細道」の所に、大迫営業所で待機する元花巻電鉄のバスの写真があったりします。

盛岡で一泊し、翌朝はバスセンターの周辺を歩いてきました。
建物がなくなってしまったバスセンターや河南営業所跡地などを歩きましたので盛岡バスセンター界隈のところに、画像を追加しました。
かつて八幡宮周辺に存在したと思われる営業所には足を運ばなかったのですが、帰ってきてから調べてみて、かつての遺構が残っているのではないかと気づきました。
すぐ近くまで行っていたのに、立ち寄らなかったのには後悔しています。
その代わり、逆側の中の橋付近まで行って、こんな写真だけは撮ってきました。岩手銀行中の橋支店は、今も変わりませんでした。

更新後記(2018.9.25)

#1780名前:管理人時刻:2018-09-25 22:13:44返信報告:報告

今回はほとんど新潟特集のようなものです。
以前に頂いていた写真などを含め、河川敷に廃車体が多く、それも北村製作所製ボディが多いというのが、新潟県の魅力でした。
しかし、今回調べてみると、以前に存在した北村製作所製の廃車体は、その多くが撤去されていました。
その代わり、新たに廃車体に加わったものもあり、全く残念な結果ではなかったのが救いです。
タイヤがついているバスを休憩所に使うというのは、古くからの知恵だと思います。聞くところによると、河川が増水するときなどは、堤防まで上がってこられるものもあるとのこと。
今回添付した写真は、その中の1ヵ所。
2台のバスがおもちゃのように砂山の両側に置かれています。
因みにこの場所には、まだストリートビューが来ていませんでした。

JOY STYLE

#1777名前:大相模時刻:2018-09-20 22:37:46返信報告:報告

はじめまして

移動洋食店のバスで車内で飲食
できるようになっています
越谷レイクタウンやイベント会場に
出店しているようで
二階建てのバスもいます

Re:JOY STYLE

#1779名前:管理人時刻:2018-09-22 23:14:32返信報告:報告

大相模様、はじめまして。
これはどこの国のバスなんでしょうね。アメ車でしょうか。
ロンドンバスの方は、「廃車体は生きている>ロンドンバス」のページに掲載しています。
こっちのバスも見てみたいですね。
越谷レイクタウンにいつもいるわけではないんですね。

更新後記(2018.9.9)

#1770名前:管理人時刻:2018-09-09 17:38:49返信報告:報告

今回、個人的に目玉が二つあります。
一つは、久々に「その頃の出来事」の一部を加筆しました。
捨ててしまったかと思っていた松園営業所新設の時刻表ポスターが押入れの隅から見つかったためです。
これまで、川久保線のつどいの森系統開設だけで1ページとしていたものを、1年後の松園営業所開設を加え、この時期の県交通の路線再編をまとめた形に変えました。
二つ目は、岩手中央バスが1973年ごろに譲受したオバQの元所有者を、東京タワー観光であるとほぼ断定させていただきました。
これは今までもどこが出元だろうかと悩んできており、国際興業っぽいけれど、日野車があるのが混乱の元でした。
結論として、東京タワー観光→国際興業→岩手中央バス、と移籍してきたということです。
過去の掲示板でも、ちょっと話題にさせていただいています。
http://bbsee.info/days_1980/id/991.html#a1022
なお、同型車は同じころに岩手県南バスにも入っており、国際興業グループ以外にも流れているようです。

Re:更新後記(2018.9.9)

#1771名前:とまります時刻:2018-09-10 21:33:19返信報告:報告

こんばんは。
「目玉」から外れてしまう話で申し訳ないのですが・・・
今回の「表紙の1枚」に写っている「戸田久」の広告、県南の「高級清酒 関山」と並ぶ岩手の2大バス広告と
勝手に思っています。ただ、県北バスで「戸田久」の広告は見た記憶がないんですよね。
「今もありました、あの広告」なんて特集を考えたり・・・

>モデルチェンジ後の1966年式BU10
中央バスカラーのものは記憶にないのですが、青銀カラー・国際興業カラーのものは花巻市内でも走っていました。
花巻市内でも国際興業カラーの丸型・角形BU10が走っていたのは、中央バスの営業所があった名残りのように感じます。
なお、撮影場所が「花北営業所」となっていますが、背後の景色から現在の花巻営業所ではないかと思われます。

>急行小岩井・網張経由雫石駅行
画像は交通公社の時刻表で上が78年12月号・下が85年3月号ですが、現在の網張温泉線に数年前廃止となった雫石網張線を
くっつけたような路線で、80年代中頃まで運行されていたようです(86年夏には網張止まりになっていました)。
78年の時刻表の「盛岡-雫石-網張」は雫石線と雫石網張線が合わさったような路線と思われます。
手元にある時刻表を見てみたら、盛岡-網張温泉-雫石が小岩井農場を経由するようになったのは新幹線開業時からのようで、
それ以前は盛岡から小岩井へは現在の網張温泉線に相当する路線が1日2往復あるのみだったようです。

Re:更新後記(2018.9.9)

#1772名前:管理人時刻:2018-09-11 22:57:37返信報告:報告

とまりますさん、こんばんは。
「戸田久」の広告は県交通ではかなり見かけましたね。
当時は何の会社かにはあまり興味がなく、「麺を作ってるんだ」くらいにしか思っていませんでした。
けれど、今、私の生活圏内にあるスーパーで戸田久の盛岡冷麺を売っていて、「戸田久だ!懐かしい!これぞ本場盛岡の味だ」と思って購入しています。なので、バス広告は効果があったというわけです(少なくとも私に対しては)。

花北営業所と書いた撮影場所は、確かに現在の花巻営業所ですね。他の写真を見ると、営業所中央の立ち木も写っていました。

急行小岩井・網張経由雫石駅行のオバQの写真も、新幹線開通後つまり1982年以降ということですね。
同時に撮ったと思われる他の写真に写っていたクルマなどから1980年以降であるとは判断できたのですが。
よく見てみたら、そのうちの1枚に、2000円のフリーきっぷの宣伝を正面のワンマン表示入れに入れたバスが写っていました。フリーきっぷは新幹線開業後の発売だと思いますので、確かに1982年以降の撮影だと考えられます。
本文も修正しました。ありがとうございます。

ちなみに、私が岩手県入りした1984年時点でも、網張温泉線は「盛岡-小岩井-網張-雫石」という経路で、最後の雫石までは入庫する関係だろうと想像したものです。
小岩井農場は、新幹線開業通前は田沢湖線小岩井駅から行くものだったのが、新幹線開業で盛岡駅から直行できるように改善されたということでしょうか。

Re:更新後記(2018.9.9)

#1773名前:時刻:2018-09-15 03:58:52返信報告:報告

こんばんは。

「譲受から5年を経て、塗装に痛みが見えだした頃です。」とありますが、確かに国際興業からの譲受車で塗装を塗りなおした車両は、後年になって一部剥がれ落ちて元の塗装が見えたりしていました。元の塗装の上に塗り重ねるだけという手抜きがこれの原因なのかもしれないですね。

当の国際興業では、7~8年経っただけできれいに塗り直ししていましたし、都営や東武など、首都圏近辺で塗り色が変更になった車両では、こういう塗装剥がれみたいのを見たことはありません。

少年期と大人になってからの時間の感覚が違うだけかもしれませんが、、

Re:更新後記(2018.9.9)

#1774名前:とまります時刻:2018-09-16 16:37:41返信報告:報告

こんにちは。
>私の生活圏内にあるスーパーで戸田久の盛岡冷麺を売っていて
これには驚きました!
90年代半ば、妹が仕事の都合で首都圏某所に半年ほど住んでいたのですが、周辺のスーパーを回っても
盛岡冷麺が無いとのことで、この戸田久の冷麺をまとまった数を送ったことがあります。
同じ頃、岩手大学と東北大学の学食に盛岡冷麺があって食べ比べてみましたが、やはり岩大のほうが
麺・スープとも有名店のものに近く美味かったです。東北大のほうは「盛岡冷麺風」って感じでした。

>後年になって一部剥がれ落ちて元の塗装が見えたりしていました
確かにそうでしたね。元の国際興業カラーの一部が見えていて、同じ型でも色違いの車が走っていただけに
子供心に「どういうこと?」と思ったものです。その頃は国際興業との関係やそこの中古車であるとは
知らなかったですから。ボディーをよくよく見ると、国際興業カラーの塗り分けの線がうっすら見えていて不思議さ倍増でした。
写真は81年の春先に撮ったと記憶しているのですが、77年3月に板橋様が撮影された場所の1つ後ろの停留所(花巻駅前7番乗り場)。
この頃になると、中央バスカラーの丸型BUでも社名がシール貼りから車体に直接書かれるようになったように思います。
また、バス停の形が平板なものから箱型に変わっています。

Re:更新後記(2018.9.9)

#1775名前:かれん時刻:2018-09-17 23:11:26返信報告:報告

おばんです

今回のトップページの写真、懐かしい風景だなと記憶が蘇りました。
映っているバスが管理人さんもギャラリーで挙げている「岩22か762」と同型というのもポイントです。
ちなみに「岩22か762」の写真には「料亭千鳥」の広告が写っていて懐かしいと思いました

あと広告というと「戸田久」の下に映っている「佐々長醸造」の広告も息が長いなと思ってます(旧東和営業所の近所ですね)
でも、県南バスエリアでは「佐々長醸造」の広告はあまり見られなかった気がします。

わたしは、なぜかこの「岩22か762」と同型のBU10に特に強い思い入れがあるようで、
(近所には「763,764,765,766,770」の5両が存在したようです)
カメラを入手出来た頃にはすべて除籍されていて撮影できず超クヤシー思いをしました。

>松園営業所移転の1987年9月
松園営業所が移転したり、都南車庫が営業所に格上げされた1987年には、松園管内以外でも
同年末頃に(花火大会でお馴染みの)都南大橋の暫定開通や盛岡赤十字病院の移転といった動きもあり
(時期は不詳ですが)それに伴い、そこに乗り入れする「日赤経由太田線」が
既存の路線と組み合わせて新設されたのも印象的でした。

当時のわたしは、長岡線の(「岩22か762」と同型の紫波所属の)「岩22か771」に乗って
都南営業所(都南の園)で下車し、都南大橋を渡りニチイ都南ローズタウンまで出かけた記憶があります。
(単に中央バスオリジナルのBU10に乗りたかったからこんなルートを選んだのかなぁ…)

同時期の国際からの丸型BU10はエンジン音が苦手だっただけに極力スルーしていたのも思い出しました。
その一方でそれに乗らざるを得なかった場合は、降車ボタンの形状や運賃箱・照明といったバス部品を覚えたりもしていました。

>とまりますさん
>交通公社の時刻表で上が78年12月号・下が85年3月号
網張温泉線に関する過去情報ありがとうございます
網張温泉線が小岩井農場をほとんど通っていないのは、かつて小岩井農場へ向かう
県道網張温泉線が一般有料道路だったことがバス運行上の支障になったのかなと推測しています。
今では高速道路を経由するバスが多数有りますが、そうでない一般有料道路の通行料の負担が
やっぱり経営上影響を及ぼしたため、網張温泉線は小岩井農場を経由できなかったのかなと感じました。

あと1978年の小岩井農場を経由しない網張温泉線を見て、ふと思ったのですが、
雫石管内には、網張温泉の手前の「玄武温泉」を起点とする「西山直通線」という
なぜここから盛岡まで直行する路線があるのかと疑問に思っていましたが、
過去の網張温泉線の経路を見てなるほどなと思った次第です。

Re:更新後記(2018.9.9)

#1776名前:管理人時刻:2018-09-19 23:44:47返信報告:報告

こんばんは。
コメントすべき部分がたくさんあるんですが、とりあえず、今回添付した画像は、盛岡市内丸を行くバスの後姿です。
リア方向幕部分に「シンエイシステム」、窓下に「高橋医院」とあり、これも数が多かったと思います。
シンエイシステムは、検索したら、今も同じロゴのまま存在していました。
ここにはかれんさんの好きな岩手中央バスのBU10は写っていませんが、トップページに写っている上田線の中央バスカラーは、近所に存在したという中の1両、765です。

それから、西山直通線は、私にも記憶があります。
これと網張温泉線との関連性が、私にはちょっとよく分からないんですが・・・。

Re:更新後記(2018.9.9)

#1778名前:時刻:2018-09-22 11:20:38返信報告:報告

いい写真ですね。
歳をとってきたせいか、バス単体の形式写真よりも、こうやって街中の風景や他の交通車両が写りこんでいる雑多な写真の方が興味深かったりします。
そういえば、国際興業では(自分の中では最後の旧型と思っていた)BU06と入れ替わりにLTやLRが入ってきたのを思い出します。85年あたりだったでしょうか。
またこのパトカーも。子供の頃は一灯のパトランプが普通だったのに、台形型4連パトランプが出てきた時にはカッコイイ!と思ったものです。その後円筒型、さらにブーメラン型になり現代に至りますね。
関係ないお話ですみません

165系の末期状況について

#1759名前:元埼玉のバスfan時刻:2018-08-14 16:53:08返信報告:報告

 御存知の方いらっしゃいましたら御教示下さい。
 先日、165系の事を書き込んで思い出しました。165系は2003年ぐらい(ではなく2002年3月でした。写真が出て来て判明。9/20)にラストランになり、
当時は新大阪発紀伊田辺行の快速電車に使われていました。
 私もラストランが新聞に載った辺りに乗りに行きましたが、これ以前にも、仕事でこれとすれ違って目撃した事も時々有り、よく見てはいました。どちら
の時もそうでしたが、ブレーキのエアー制御系が153系に使われていた物を使い回し流用されていたようでした。ブレーキの空気抜けの音が、101系,153系
世代と綺麗に一緒だったので判りました。現役時代、165系は一段階にツーっと抜けていましたが、101系や153系等はスースィーっと二段階に抜けている
状態であったのは記憶によく残っています。ラストランの時は、ブレーキはこの状態で当然だったにしましても、マスコンハンドルも、本来茎が大きい
ごっつい形状だったのが、安っぽい(と言っていいかどうか?)形状の物に変わっていて、トイレも使用禁止でした。整備も冷遇だったのでしょうか。そんな
のを見てしまうと、ズタズタ状態で運転されてしまっていたのかと思ってしまうとこです。真実を御存知の方いらっしゃいませんでしょうか。

Re:165系の末期状況について

#1762名前:匿名時刻:2018-08-21 19:10:22返信報告:報告

153系と165系の空気ブレーキは全く同一のSEDブレーキが使われています。
SED:Straight air brake/Electromagnetic/Dynamic
発電制動付電磁直通空気ブレーキ
なぜなら165系は153系の出力増強増備車であったからです。
153系はMT46系100Kwモーターで平坦線でもMT1:1の運用がぎりぎりで勾配区間では使えませんでした。またスピードアップも叶いませんでした。
そこで国鉄ではMT54系120Kwモーターを使った平坦線用163系、勾配線用165系が計画されました。
近郊型だと111系、113系、115系の関係に全く重なります。
平坦線用163系は153系と同じ制御器(CS12系)が使われ抑速発電ブレーキやノッチ戻しが出来ず東海道新幹線開業後の転用先が限られるため(勾配区間の中央線や上越線では使えない)
勾配区間でも使える165系(CS15系)に増備が統一されました。ただしサロ163のみ7輌作られました。
153系と165系はもちろん自在な混結が出来ますが、165系に1輌でも153系が連結されると抑速発電ブレーキやノッチ戻しが使えず勾配区間では使えません。
この辺は交直両用の451.453.455.457や471.473.475各系と同じです。
完全混結のためサハシとクハが改造の上165系に編入されています。

Re:165系の末期状況について

#1763名前:元埼玉のバスfan時刻:2018-08-21 20:22:53返信報告:報告

[1762]匿名様:
 有難う御座います。おっしゃられている内容は、私も高校時代に調べたりしたので、ほぼ理解出来ます。しかしながら、以下の記憶事実は有るのです。
 ブレーキ解除、又はブレーキ力緩め時の空気抜けする時の音の違いは、MT46A搭載型とMT54搭載型で明らかに有りました。例外と言えば、常磐線近郊型
の場合にMT54搭載型なのにMT46A搭載型401系と同じだと、高校時代に不思議に思った記憶が有ります。しかしこの常磐線にも数多くは乗れるチャンスが
無かったので、完全に状況を掴めた訳ではないです。もう一つの例外に、中央線のサハ103にサハ101を改造したと思われる物があり、その車両だけ空気
抜けの音が101系で、台車のシリンダーの取り付け勝手(具体内容は、時を経ているので思い出せません。)も通常のサハ103と違っていた記憶が有ります。
 周辺機器が違うと言うレベルなのでしょうか。

Re:165系の末期状況について

#1764名前:元埼玉のバスfan時刻:2018-08-22 22:51:26返信報告:報告

 不要な事でしたら恐縮ですが、二段階に空気抜けする動作が投稿されていましたので、リンクを紹介しておきます。

https://www.youtube.com/watch?v=MuOe2pgO89Y
https://www.youtube.com/watch?v=dv_pWsBe9Zo

これは鉄道博物館のようです。私は大昔、秋葉原の交通博物館に157系の台車が展示してあって、それを操作したのですが、これも当時リアルな二段階空気抜け
動作で、台車のそばで聞くと、エアー機器の開放音にこんなに近いのかとビックリでした。まあ実際にエアー機器なのですが。記憶掘り起こせば、MT46A搭載車と
MT54搭載車では、40年前当時は明らかに違っていたものです。MT55を搭載の103系は、二段階抜けでも101系に比べてこもった音色でした。そして、冷房車が
現れた当時は、非冷房車と冷房車でも若干音色に差が有りました。眼をつぶっていても判別が着きました。実はドアの閉まる時に当時の103系はブシュッガラ
ガラガラガラとなるのですが、この音も非冷房車と冷房車では違っていました。このブシュっていうやつ、応荷重装置のリセットだそうです。地下鉄千代田線
に使っていた1000番代では、この音は鳴らなかったです。ここ十数年でしょうか、動作タイミングが変更されて、ガラガラガラガラブシュっとなりました。
165系から逸れるのでここまでにしておきます。

Re:165系の末期状況について

#1765名前:管理人時刻:2018-08-24 22:31:42返信報告:報告

匿名さん、フォローありがとうございます。
(できれば、お名前欄に何か入力いただくと、匿名ではなくなります)
私も匿名さん以上の知識はありませんので、静観せざるを得ませんでした。
書き込みの状況を見ると、主電動機や主制御器などの相違とは別に、ブレーキ系のどこかに何らかの違いがあったということでしょうか。ちょうど101系や153系などのMT46系グループと、103系や165系などのMT54・55系グループとの間に区分線があったと。
末期に紀勢線にいた165系は、中央東線(松本運転所)から転じています。中央線時代は、周囲に旧系列の車両は存在していませんので、ここで手が加えられたとは考えにくいと思います。
ちなみに、トイレが使えなかった点は、別スレッドのネタと被りますが、紀勢線転属後、処理施設との関係で、クハ165のみ使用可能で、電動車のトイレは閉鎖されたのだと記憶しています。
因みに、添付した写真は、話題に出たサハ103-750番代(元サハ101)の台車です。上から101系、サハ103-750番代、103系です。101系とサハ103-750番代は改造前後で変わりませんね。103系はどうでしょう。
(サハ103標準車の台車はブレーキシリンダーが内側にありますので、103系の台車はあえて電動台車の画像を載せました)

Re:165系の末期状況について

#1766名前:元埼玉のバスfan時刻:2018-08-25 00:17:14返信報告:報告

[1765]管理人様:
 情報の御提供有難う御座います。何時もお手数をおかけしてしまう結果になってしまい、恐縮極まりなく思っております。私としては知る限りの事と、
自力で調べて解らない事はこのサイトへ少しずつ放流しているのですが、場合に因っては難題のような事象にも発展させてしまいまして、済みません。
サハ103のブレーキですが、写真を見ましても思い出せないです。シリンダーの有無だったかどうかも、時が経ち過ぎてもう解らないです。当時、自前の
カメラも持ち歩けない時代だったので。ただ当時、新宿を通学路としている友人と話をしていて、私の知の範疇以上に細かい違い等の話題も多くしたのです
が、新宿のホームに一緒に居る時に「シリンダーの方向?が違うだろう」か何か言われて納得してたような記憶も有ります。この人は私よりも多数、違いに
詳しかったです。空気抜け音の件も私同様に理解していました。モーター音の違いも同様でした。
 真相の紐が解けなくて済みません。

Re:165系の末期状況について

#1767名前:元埼玉のバスfan時刻:2018-08-25 06:25:52返信報告:報告

 お騒がせしまして済みませんでした。101系台車DT21とTR64、103系台車DT33の写真を調べ、真相らしき事が判明しました。101系の場合、電動車も
付随車も2個のシリンダーのスピンドル出方向が外向きで、103系の電動車はスピンドルの出方向が内向きになっています。ですので、103系電動車の間に
1両101系母胎の付随車が挟まれれば、この方向の違いが一目瞭然に目立つ訳です。言い換えれば、101系を母胎とした物を103系編成に挟んだら、付随車
であろうと電動車であろうと、スピンドルの向きの違いが現れて、これは違うと言う事になるのです。
 因みにサハ101改造のサハ103ですが、ブレーキの空気抜け音の他、ドアの開閉動作パターンも丸っきり101系でした。103系の場合、開くときは車掌
スイッチを操作後ひと呼吸置いてブシューっと鳴ってから開き、閉まる時は即座に閉まり始めるのですが、101系は反対で、開くときは音も無くいきなり
ガラガラガラガラと開き、閉まる時がひと呼吸置いてブシューっと鳴ってから閉まるのでした。中高生の当時、今に比べれば機械も電気もヨチヨチ
だったので、この両者の音の違いは元101系だと判断するのに貴重な材料でした。それと、床にドアエンジン用の点検蓋が有ったのも101系の特徴でした。

Re:165系の末期状況について

#1769名前:元埼玉のバスfan時刻:2018-08-26 00:58:20返信報告:報告

くどいようでしたらごめんなさい。下記は平成8年の東海号165系のリンクのようですが、2分28秒のあたりに発車前の、ツーッと言う一段階空気抜け音
が入っています。音が大きくないですが認識は出来ます。

https://www.youtube.com/watch?v=QhGJ_Kw1YEw

 他にもっと鮮明な物も有るでしょうけど、取り急ぎここまで。明らかに「スースィー」と言う二段階音ではないです。
 内容の方を知りたい方もいらっしゃるかも知れませんので、書かせていただきました。

追記 下記リンクは和歌山線165系ですが、32秒と42秒辺りに二段階空気抜け音が入っています。信憑性を高めたいので紹介致しました。済みません。

https://www.youtube.com/watch?v=WLR40DaNWw0

更新後記(2018.8.25)

#1768名前:管理人時刻:2018-08-25 17:41:04返信報告:報告

いつまでも暑いので、なのか、一部の方からの猛烈なリクエストで、なのか、期間限定の第2弾として、「或る高原リゾートの」おかしなバス達をご紹介することにしました。
写真の方は一応、旅館名などは画像を加工して消しています。旅館に電話で問い合わせるなどという人はいないと思いますが・・・。
バスは飽くまでも宿泊客を送迎するための道具なので、あまり宿にご迷惑をおかけしないようにしないといけません。
こうして写真を撮ること自体、もしかすると、ご迷惑をおかけしたかもしれないと思うと、ひやひやものです。
ただし、ナンバープレートの加工はしていません。多分4桁数字以外は読み取れないと思いますので。
そもそも自家用バスのナンバーは消すのが、この趣味のweb界では一般的になっているようですが、私はどうもその意味が理解できません。
もともと旅館名を大書きして公道を走っているバスなので、ナンバーから所有者を割り出そうとする輩がいるとは思えませんし、やっても意味ないですし。

ここで添付した写真は、中型ロングのノンステップバスの並びです。東京と大阪で、今までは隣り合うことはなかった2台です。

更新後記(2018.7.8)

#1741名前:管理人時刻:2018-07-08 18:32:17返信報告:報告

関東地方では6月に梅雨明けが報道されたと思えば、西日本では大水害など、過激な気象が続いています。
しかし、今週はまた猛暑が続きそうです。
そんな中で、例年の期間限定納涼企画で、昨年に引き続き、旧型国電を振り返ります。
もともと、納涼企画の趣旨は、忙しいし暑いし、やる気の起きない夏に、手持ち画像でお茶を濁そうということだったのですが、逆に量も多くて手がかかるようになってしまいました。
それでも、雪の中の画像でも眺めて頂いて、少しでも涼しくなってもらえればと思います。

Re:更新後記(2018.7.8)

#1747名前:左党89号時刻:2018-07-26 21:53:13返信報告:報告

尾籠な話ですが・・・
今回の更新での身延線でのコンテンツの前文で懐かしい記憶が甦りました(笑)
子供の頃、友人数名と2チームに分かれて命令に従ってすすむ「探検ごっこ」をしていたとき、命令の中で「東北線の線路を進んで・・・」というのがあり、それに従って線路を歩いていたら前方遠くに583系の「はつかり12号」が!
慌てて線路際に出て築堤から数m下がったところまで降りて通過まを待ちましたが、通過時に若干水分を浴びたようにも・・・
今となっては危険なことをしていたなと反省する次第です。

馬糞の話で思い出したのが母親が言っていた「佐藤・高橋・馬の糞」でした。それだけ多かったことでしょうね。

Re:更新後記(2018.7.8)

#1748名前:管理人時刻:2018-07-28 00:08:28返信報告:報告

「佐藤・高橋・馬の糞」ですか。馬の糞と一緒にされてはたまりませんね。
線路の近くで遊ぶのは、どこの子供でもやることですが、飛んでくる水の意味までは分からない場合が多いです。
私の友達も「冷たくて気持ちいい」くらいのことを言っていましたので、知らぬが仏と言う奴だと思います。
大体、ああいう物が上から降ってくるというのは、普通は考えませんよね。
ガード下とか、陸橋をくぐるとか、そういうときに上を長距離列車が通り過ぎることは、頻繁にあったと思いますが、当時の人はどう考えていたんでしょう。
そういう場所に、信号とかで長時間停車した場合のことを考えると、ぞっとします。

Re:更新後記(2018.7.8)

#1749名前:ポンコツ屋 赤木時刻:2018-07-30 10:23:47返信報告:報告

脱線話に便乗します。

横浜の平沼橋近く、住宅展示場が国鉄や相鉄の線路沿いにあって、幼稚園児の頃、よく祖父と祖母に連れられて電車を眺めに行きました。

東海道線が連結部あたりから飛沫を上げているのを興味津々で見ていると、祖父が「ウンコとションベンだ!」と。
なにしろ子供はその言葉が好きですから電車の便所が気になりだし、以後、東海道線や横須賀線に乗ると必ず便所に入って、穴の奥を眺めていました。

新幹線の便所がタンク式と知った時はショックでしたが、金属光沢も艶やかなステンレス便器には在来線と格の違いを感じたものです。意味もなくボタンを連打し、無駄に青い水を流しました。ごめんなさい。

Re:更新後記(2018.7.8)

#1750名前:管理人時刻:2018-08-01 22:10:32返信報告:報告

垂れ流しの時代は、また車両に冷房のない時代だったので、夏は窓を全開にしていたわけで、跳ね返りが車内に戻ってくることもあったようで。
そんなこともあってのことでしょうか、当時の大人の中には、「走行中に使ってはいけない。停車中に使うんだ」と思い込んでいる人もいたようです。
多分、「黄害」が社会問題となっていたため、飛散を防止することだけが問題だと誤認識していたんでしょうね。
黄害は新聞でも取り上げられたし、住宅の密集する都市部ではトイレ使用を控えるような放送もあったように思います。

あ、ポンコツ屋赤木さんが連打して流した青い水は、循環水なので、いくら流しても大丈夫です。トイレを使うたびに水源が供給される方式ですから・・・。

Re:更新後記(2018.7.8)

#1751名前:元埼玉のバスfan時刻:2018-08-02 01:11:17返信報告:報告

[1750]管理人様:
> 垂れ流しの時代

 便乗させていただくのは恐縮ですが、私も垂れ流し時代の記憶有ります。165系のトイレに入ると、線路の敷石が素早く通過していて、レールの
響きも露わでした。大宮を越した辺りの田畑にはよく「列車便所タレ流し反対」とか言う看板が立てられていました。汚水タンクが装着されだしたのは、
昭和の50年あたりからでしょうか。この頃は電車での出掛の時、165系を外から見てトイレの下側に白い箱状の機器が付けられているのが時々有った
ように記憶しています。裾部は、車両限界の為か斜め切り下げ形状でした。そのうちあれよあれよと言う間に、全車に装着されたと記憶しています。
これが汚水タンクと知ったのは大分後でした。新幹線が初めからタンク式だったと言うのは、走行中の気圧差の為に、外部と通々とする訳にいかなかった
からでしょうか。それでは、181系に代表される(古くは151系)旧い時代の特急列車は当初タレ流しだったのでしょうか。それともタンク式だったの
でしょうか。裕福ではなかった故、特急には全く乗れなかったので、少年の頃の特急のトイレの事は、未だに空白です。

Re:更新後記(2018.7.8)

#1752名前:管理人時刻:2018-08-03 22:46:21返信報告:報告

列車のトイレは、大まかには垂れ流し式から垂れ流さない式へと進化したわけですが、各方式にも複数のバリエーションがあるようです。
単純に言うと、垂れ流し式 → タンク式 → 循環式 という進化を辿ったのだと思います。
垂れ流し式でも、周囲に飛び散って黄害となるのを防ぐため、配管に大きな覆いをつけて、なるべく線路の近くで飛散するように工夫したものが最終形でした。
タンク式は、初期の新幹線に採用されましたが、流した水もすべてタンクに収まるため、容量が不足し、故障や使用中止が相次いだとのことです。
完成系となったのが現在も使われている循環式です。これは、汚物をろ過し、消毒液で青色に色づけしたものを流水として再利用するというものです。
これなら液体がりサイクルされるので、満杯リスクは回避できるというわけです。
151系こだま型も最初は垂れ流し式で、新幹線でタンク式を採用したのは、速度云々より、新しいシステムの電車には垂れ流しを使いたくはなかったからではないでしょうか。昭和30年代初頭には、すでに垂れ流しは問題視されていたそうですから。

Re:更新後記(2018.7.8)

#1753名前:元埼玉のバスfan時刻:2018-08-04 01:55:27返信報告:報告

[1752]管理人様:

 御教示有難う御座います。私が始めて新幹線に乗った昭和44年は、既に青水だったように記憶しています。この時点では循環式トイレの技術は有った
訳ですね。この時代で既に、タンク式では、容量満杯の痛手を受け易いのも知れ渡っていたと言う事ですか。て言う事は、昭和50年辺りに相次いで汚水
タンクが装着されたのも、実は循環式だったと推定出来そうです。少年期のこの頃、どんなトイレかと気に留める事はあまり無く、もう列車トイレは狭苦しい
とばかり思って、あまり見に行く事も無かったです。実は最近も、列車トイレにはあまり行っていないです。今こうやって考えると一種トイレ考古学ですね?。
これも裏方の開発舞台の苦労有って発達した物ですから、次回列車トイレに行った時は、システムの観察勉強もしてみたいです。

Re:更新後記(2018.7.8)

#1754名前:管理人時刻:2018-08-04 21:13:29返信報告:報告

鉄道車両のトイレについては、ニッチな分野で、きちんと正確に記述されているものがあるのかどうか・・・という中で、鉄道ピクトリアルの1998年2月号で「列車のトイレ」という特集をしておりました。
奇しくも、元埼玉のバスfanさんが初めて新幹線に乗った1969(昭和44)年度に、新幹線はタンク式から循環式への改造を終えているそうです。
ただし、在来線で1975(昭和50)年あたりに汚水タンクが相次いで取り付けられたという事実は確認できません。
車両改造だけでなく、電車区などの地上設備も整備する必要があり、線区によって進行状況は異なっていたようですが。
さすがにトイレ部分を撮影する機会は少ないですし、私自身、新性能電車はあまり撮っていないので、今回、ネガをひっくり返しても、この程度しか出てきませんでしたが、4枚の写真を添付します。
左側の2枚が垂れ流し式の配管覆いをつけたもの。上は急行型電車、下は近郊型のグリーン車です。
右側の2枚は循環式。上は特急型ですが、下は近郊型です。
面白いことに、下の写真は左右が同じ編成に収まっている車両です。グリーン車が垂れ流しなのに、普通車が循環式というわけです。
これは、その普通車がサハ111-1000番代という車両で、東京地下駅乗入れ仕様だったためだと思われます。
これらの写真は、1980年代初頭のもので、優等列車でもまだまだ垂れ流し式が多かったことが分かります。

Re:更新後記(2018.7.8)

#1755名前:元埼玉のバスfan時刻:2018-08-05 00:37:25返信報告:報告

[1754]管理人様:
 写真添付の程、有難う御座います。そうですね、私が見たのは循環式処理装置です。今見ると、アレこんな格好だったっけと不思議に思う脳細胞分子も
多少は正直有るのですが、ここ約40年この事も考えずだったので流石に記憶も不正確です。昭和50年辺りに相次いで改造されたという目撃は、特に赤羽駅
を通る、高崎線や東北線等で見た165系、169系等ですね。北埼玉の辺の農家等からかなりと苦情叩かれしていたのでしょうか。当然、他の地域の方々だって
文句を言わずになんか居られないでしょう。でも東京駅を玄関口に活躍している電車では、結構遅く迄循環式対策がされていないのも有ったのですね。

Re:更新後記(2018.7.8)

#1756名前:時刻:2018-08-09 00:05:00返信報告:報告

こんにちは。
垂れ流し式の便所なんて、今では考えられないですね。私自身は体験したことないのですが、学校の先生が「昔は便器の下から線路が見えていて・・」なんて話を面白おかしくしてくれましたね。80年代に首都圏に存在していたなんて、驚きです。近郊型や特急列車はあまり乗る機会がなくて知らなかっただけかも・・

ちょっと話は逸れますが、管理人様の写真の右下、サハ111系の写真を見ていて懐かしくなりました。高崎、宇都宮線の115系も、これと同様に側面方向幕の準備だけしてあり、長らく金属のサボを使っていた(上野駅での入れ替えを思い出します)のですが、90年代(下手すりゃ後半?)に入っても改造される様子はなく、このまま使われずじまいなのか、ダミーなのかと思っていたら、快速が設定されたり行き先が多様になったりした頃から自動方向幕が設置されるようになり、この車も最後まで使い倒すつもりなんだなとちょっと安心した記憶があります。とは言っても、好きなのは211系だったんですけどね^^

Re:更新後記(2018.7.8)

#1757名前:管理人時刻:2018-08-10 22:43:48返信報告:報告

近郊型の側面の方向幕は、確かに準備工事が多かったですね。通勤型と近郊型は冷房取付と側面方向幕がセットだったので、使う使わないにかかわらず、設計上は付けることになるので、仕方のないことなのですが。
横須賀線や京阪神で使っていたものを、東北本線や高崎線ではなぜ使わなかったのかは、よく分かりませんね。
ついていない車両が混じっており、そうなるとサボはなくせないし、交換作業する人も減らせないし、ならば従来のシステムをそのまま踏襲した方が合理的との判断でしょうか。
写真は、名古屋地区で1981年に撮った113系。準備中の方向幕が緑色に塗りつぶされている名古屋鉄道管理局内の仕様です。
ドアの脇には横サボが見えます。

あとトイレの話に戻りますが、垂れ流しと循環式との間に、紛砕式というのもあったらしいです。
交直両用には特に優先的に取り付けられる計画だったと書かれています。

Re:更新後記(2018.7.8)

#1760名前:とまります時刻:2018-08-19 20:59:43返信報告:報告

こんばんは。

今回の「表紙の1枚」、パッと見では非常に精密なジオラマに見えてしまいました。

「納涼」というには時季外れになってしまいましたが、80年頃時刻表に「冷房マーク」なるものが
登場したのを思い出しました。全車冷房の臨時列車にだけこのマークが付いていたようですが、
今思うと臨時列車への誘導作戦なのでしょう。
画像は80年7月に盛鉄管内で配布されていた特急・急行時刻表。
小学生だった頃、夏休みになると日中に停車する臨時列車を見に花巻駅へ行き、普段見られない12系客車・14系座席車を
見てはブルートレインなみのカッコよさを感じたものです。

画像では見難いのですが、「詩情ゆたかな岩手路」のキャンペーン開始に合わせて
7月から9月いっぱいまでやまびこ8号(と1号)が平泉に臨時停車しています。

Re:更新後記(2018.7.8)

#1761名前:管理人時刻:2018-08-20 23:06:47返信報告:報告

> 今回の「表紙の1枚」、パッと見では非常に精密なジオラマに見えてしまいました。
それが狙いです(笑)。
これだけ古いバスが、痛みも少なく、まさに作り物の世界にいるようでしたので。
ジオラマのように撮れるデジカメの設定もあるのかも知れませんが、そんな心の余裕はありませんでしたので、後日の画像補正です。

臨時列車だけの冷房車のアピールは、面白いですね。
当時は、臨時急行にはまだ旧型客車が使われたりしていましたので、そうでないことを強調したかったのでしょうか。
首都圏などでも、波動用の急行車両には非冷房車がありましたし、のちに遜色急行などと呼ばれた近郊型を使った急行も、ギリギリ残存していましたしね。
1970年代は、冷房車が来ると得した気持ちになりましたが、1980年代になると、冷房がついてないと損した気持ちになるようになり、1990年代になると、冷房がないと苦情になるという時代になりました。
鉄道関係で相応しい写真がないので、ここで添付した写真は、バスのエアコンシールです。
冷房付きのバスのリアウィンドウにはこれが貼ってありました。
最近、これも過去の遺産になっていることに気づき、慌てて写真を撮りました。

バスではなくトラックですが…

#1758名前:久遠時刻:2018-08-13 10:50:42返信報告:報告

346沿い南郷の解体屋tc30か6twdcと思われる大型キャブオーバーが解体中です既にフロントとルーフはつぶされました数日中に完全消滅の模様です。貴重な車両が消えていく…

1960年代の京都市交通局の廃バス

#1742名前:しばとら時刻:2018-07-22 11:47:49返信報告:報告

お世話になっております。だいぶ前に御殿場市のロンドンバスや京都交通の3扉車の廃バスについて投稿させていただいたものです。

何回か足を運んでいる廃バスで、この季節緑が美しかろうと再訪した京都市交通局の車両があります。いすゞ/西日本車体工業との組み合わせはまさに京都市交通局らしい組み合わせといえるでしょうが、銘板も無く型式が分かりません。低いライト位置などはBC161ですとかそこら辺のモデルが思い浮かぶのですが、確かそれらはリヤのデザインが丸っこいデザインだったような気もしてお手上げの状態でございます。

どなたかこの手の車両にお詳しい方、知識をお貸しいただければ幸いです。

Re:1960年代の京都市交通局の廃バス

#1743名前:しばとら時刻:2018-07-22 11:49:17返信報告:報告

いくつか、他のアングルでも投稿させていただきます。

Re:1960年代の京都市交通局の廃バス

#1744名前:しばとら時刻:2018-07-22 11:50:04返信報告:報告

画像②

Re:1960年代の京都市交通局の廃バス

#1745名前:管理人時刻:2018-07-24 22:38:56返信報告:報告

しばとら様、こんばんは。
これはまた、古くて面白い廃車体を見つけましたね。
ご想像通り、いすゞ-西工の組み合わせで、ライト配置は初期BCに見られたものですが、同じライト配置はBAなどでも見られます。
この車両は、長さから言って、BR20だと思います。1960年代初期の車両ですね。
本来は、後ろが丸いスタイルになる年代ですが、この車両は、後ろのスタイルを前と同じ形にした「電車形バス」なので、丸くないわけです。

Re:1960年代の京都市交通局の廃バス

#1746名前:しばとら時刻:2018-07-25 00:16:40返信報告:報告

管理人様

誠にご返答感謝いたします。これはBR20でしたか!手持ちの資料とリアのデザインが異なるため、顔は同じものの何なのだだこれは?となってしまいました。また、当時の京都市交通局の資料で同型車が「箱型バス」というタイトルがつけられておりました。管理人様のコメントよりその「箱型バス」の意味も納得です。このリヤデザインであるため、そう呼称していたのでしょうね。どうもすっきりいたしました。どうもありがとうございます。

更新後記(2018.6.17)

#1739名前:管理人時刻:2018-06-17 19:02:21返信報告:報告

今回、1970年代奥の細道に元岩手中央バスをアップしましたが、同時に更新したカラーリングのページには、岩手中央バスに関係のあると思われる画像を追加しました。
ここで添付したのが同じカタログの表紙ですが、1960年に発行された日野BD15のカタログ。
岩手中央バスがクリーム色に青帯に変わったのが1964年頃なので、このカタログが関連している可能性があります。

ところで、幣サイトでは、ページを更新した際には、トップページの画像を変えるというのを、サイト開始時からの自己ルールにしています。
トップページの画像が変わったら、「ああどこかのページを更新したのだな」と思ってもらえればいいのです。
ただし、キャッシュの悪戯で、古いページがいつまでも表示されるということもあるようです。
ブラウザの更新ボタンを押すと通常は最新ページが表示されますが、それでも古いページした出てこない場合は「Ctrl+F5」を押すと効果的なようです。

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