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80s岩手県のバス“その頃”掲示板

古いバスのこと、昔のバスの想い出、岩手県のこと、新幹線の看板などの掲示板です
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更新後記(2018.11.25)

#1804名前:管理人時刻:2018-11-25 16:13:23返信報告:報告

こんばんは。
疑問点を整理するのに時間がかかりましたが、ようやく花巻バスセンター周辺の謎を解明することができてきました。
この掲示板で、色々とお教えいただいたことを、まとめ直した形です。
http://bbsee.info/days_1980/id/1355.html#a1358
写真についても、ここで投稿いただいた、とまります様の写真を使用させていただきました。
私自身も、先月、岩手県に足を踏み入れた際に、現地を回ってみました。花巻バスセンターの跡地は、30年以上たった今も、更地の駐車場でした。その一角に、バスセンターが建っていたとは、教えてもらわなければ分かりません。

ここで添付した写真は、今回見てきた末広町バス停です。
思えば、1984年に「花巻バスセンターはどこにあるんだろう」と思って訪ねた時も、バスの終点付近にあるんだとうと思って、来てみたはずです。
末広町のバス停はたくさんあるけど、バスセンターらしきものはないなあ、と思って、そのまま花巻駅に引き返したのだと思います。
30年以上も後に、疑問が解決するとは思わずに。
もっとも、バスセンターがあった頃の建物の写真は、未だに見たことがありません。

Re:更新後記(2018.11.25)

#1806名前:とまります時刻:2018-11-26 20:32:29返信報告:報告

こんばんは。
花巻バスセンターの件から3年も経ったんですね。つい熱くなってしまい申し訳ありませんでした。
その後も図書館などで花巻の記録写真集を調べてみたのですが、バスセンターの写真はどうしても見つかりません。
建物の中は、入って右側に売店、左側に窓口でその間にベンチ椅子が並び、乗り場入口には駅の改札口のような柵があり、
到着・発車のアナウンスもあったと記憶しています。
実は、親戚でその昔花巻バスに勤めていた人がいまして、桜木町の営業所を知っていました。
営業所の近くに美容室があったと言っていて、今もそれと思しき美容室があるので写真の白で囲んだ場所でビンゴだと思います。
(上は地図・空中写真閲覧サービスから1962年の様子、下はグーグルマップから。今は製材所の資材置き場になっています。)

Re:更新後記(2018.11.25)

#1807名前:とまります時刻:2018-11-26 21:14:47返信報告:報告

連続投稿失礼します。
画像は82年か83年の花巻管内時刻表で、石鳥谷線と花巻温泉線のものをUPしてみました。
(見難くてすみません。赤線は私が当時引いたものです)
花巻温泉行は賢治詩碑発着、台温泉行はバスセンター発着となっています。

Re:更新後記(2018.11.25)

#1809名前:管理人時刻:2018-11-27 21:45:54返信報告:報告

とまりますさん、こんばんは。
花巻バスセンターの内部は、盛岡バスセンターにも似ていたということでしょうか。
外形も似ていたんじゃないかと思っています。
しかし、親戚の方が花巻バスにお勤めだったとは。
また色々と謎解きができるかも知れませんね。
添付頂いた時刻表、今外出中で、他の資料との比較分析が出来ないので、それについては後日。

Re:更新後記(2018.11.25)

#1810名前:とまります時刻:2018-11-28 20:25:24返信報告:報告

1982年(83年かもしれません)の花巻管内時刻表から、先日UPしたもの以外の時刻表です。
UPできるサイズにするとどうしても文字が見難くなってしまって申し訳ないのですが・・・

Re:更新後記(2018.11.25)

#1811名前:とまります時刻:2018-11-28 20:30:35返信報告:報告

続きです。

もともとは1枚もので、東和営業所の路線も載っています。
1枚ものの時刻表から各路線のものを切り抜き、それを厚紙に貼って綴じたものが
当時乗ったバス(花巻バスカラーの天下田線だったと思います)の入口付近につり下げられていて、
それをまねてみたものです。
花巻市内の路線で、湯口線・太田線・鍋倉線以外は花巻バスセンターを経由していたと記憶しています。
(35年以上前の話なので記憶違いがあるかもしれません。ご容赦下さい。)

Re:更新後記(2018.11.25)

#1812名前:管理人時刻:2018-11-29 22:38:47返信報告:報告

とまりますさん、こんばんは。
少し時間を頂いてしまいましたが、あまり見えてきません。
以前(2015.12.6)にこの画像掲示板で、この話題が出てきたとき、花巻温泉線に関して、とまりますさんの推理では「湯本学校経由=花巻バス、松山寺経由=花巻電鉄」でしたね。
その根拠が、湯本学校経由は花巻バスセンター発着である、という話でした。
今回の時刻表では、それを裏付けるような系統の差異が見て取れますね。
松山寺経由は賢治詩碑前発着で、花巻バスセンターを経由しますが、これは合併したことで末広町経由を花巻バスセンター経由に読み替えただけかもしれませんし。
湯本学校前経由と松山寺経由に、運行会社の違いという根本的な違いがあったのか。う~ん。

Re:更新後記(2018.11.25)

#1813名前:とまります時刻:2018-12-01 19:04:14返信報告:報告

こんばんは。
3年経っても何も分からなかったというのが正直なところでして・・・
(石鳥谷-八日市-湯本学校-花巻温泉は花巻バスの路線のようです)
>賢治詩碑発着便
花巻バスの花巻駅-桜町(賢治詩碑?)間の路線を「市内線」と言っていたそうで、これと中央バスの花巻温泉行とを
1本にまとめたものと思われます。

>湯本学校経由便
ネコパブリッシング『花巻電鉄(上)』に掲載されている1970年の電鉄バス花巻駅-花巻温泉-台温泉間の時刻表を改めて見てみると、
花巻駅-花巻温泉間の所要時間が25分となっています。
先日UPした時刻表でも、湯本学校前経由台温泉行の花巻駅-花巻温泉間の所要時間は25分。
道路事情に多少の変化はあったでしょうが、所要時間から見れば電鉄バスの台温泉行も湯本学校前を経由していたものと思われます。
この点で、湯本学校経由便が花巻バスだったというには無理があり過ぎですね・・・。
30年以上前に見かけた古いガイドブックの「花巻温泉:花巻駅から花巻バス・岩手中央バスで○○分」という記述がノイズになっていました。
台温泉行がなぜバスセンター発着だったのかは結局は謎のままです。

画像はコンパス時刻表77年3月号のもので、上の「花巻-花巻温泉」は松山寺経由便です。
ちょうど1年前の時刻表だったらよかったのですが・・・

Re:更新後記(2018.11.25)

#1814名前:とまります時刻:2018-12-01 19:25:09返信報告:報告

湯本学校経由便が花巻バスでは?と勘違いしたもう1つの原因が、この写真。
80年代中頃の花巻温泉の観光パンフで、写真の撮影時期は80年代初め頃と思われます。
ホテル花巻の裏(写真では手前)を花巻バスが走っていて、台温泉発花巻バスセンター(or賢治詩碑)行きだと思いますが、
花巻温泉・台温泉行では花巻バスカラー・中央バスカラーが入り混じって走っていたのに対し、湯口線・鍋倉線・太田線では
花巻バスカラーを見た記憶がありません。笹間や東和、北上方面に向かう中央バスカラーも記憶にないです。
単に見ていなかっただけの可能性が高いのですが・・・
(ちなみに、通っていた小学校は湯口線・鍋倉線沿線で、教室の窓からもバスの行き来を眺めることができました。)
“その頃”に盛岡バスセンターで待機する花巻バスカラーの急行花巻行もしっかり見ていますし、合併後しばらくの間は
旧社の路線では旧社のカラーの車を使っていたものと思い込んでいたのです。
尤も、そうではないことは『岩手のバス いまむかし』を見れば分かるのですが(電鉄カラーの二子行、更木経由北上行)。

Re:更新後記(2018.11.25)

#1815名前:管理人時刻:2018-12-05 17:27:11返信報告:報告

調べるならとことんまで、ということで、1975年の交通公社時刻表を入手してしまいました。
奥東北という言葉があったのか、という感じですが、花巻駅~花巻温泉、台温泉、新鉛温泉いずれも、岩手中央バス(つまり旧花巻電鉄)の運行です。
盛岡や二枚橋からの花巻温泉行の時刻は掲載されていません。

Re:更新後記(2018.11.25)

#1816名前:とまります時刻:2018-12-07 20:34:21返信報告:報告

こんばんは。
花巻温泉・台温泉行の始発はどこかが気になるところですが(花巻駅か?中央バス営業所か?)、
まずはモヤモヤが晴れてスッキリしました。
件の親戚によると、花巻駅の西側・中央バス営業所近辺を1周するような花巻バスの循環線があったとのことで、
70年代初めの市街地地図を見たら確かにそれらしき路線が描かれていました。
また、笹間営業所の名残なのか、中央バスエリアの太田地区にある清水寺へも花巻バスが乗り入れていたようなことも言っていましたので
(例大祭の時は臨時バスが運行され乗務したことがあるとのこと)、意外なところで2社が競合していたようです。
しかし、詳しいことは当時の中の人に聞かないと分からないですね・・・アレコレ推理するのは楽しいのですが。
(ちなみに、件の親戚は北上へ本社が移転する前に退職したそうです。)

75年の時刻表、読みふけってしまいそうですね。この時刻表をネタにミニコーナーがつくれそうです。

8日追加
こちらのサイトにこの画像があったのを忘れていました>花巻地区路線図
http://www5e.biglobe.ne.jp/~iwate/alacarte/annex/mukashi_name/index.html
市外局番から、県交通発足後から78年2月までに作成されたものと思われますが、なかなか興味深いです。
当時も清水寺行きというのがあったんですね。太田線の1系統だったのかなと想像したり。

Re:更新後記(2018.11.25)

#1817名前:管理人時刻:2018-12-08 22:22:13返信報告:報告

こういった市販の時刻表は、国鉄線から乗り換えてどのように旅行するかが掲載のポイントなので、バスの路線系統とは無関係で、国鉄駅を起終点に掲載されるんですね。
ちなみに、国鉄バスが共同運行している盛岡~一関~仙台間の特急バスは掲載されていましたが、岩手急行バスの盛岡~一関間急行バスは見当たりませんでした。
ここでは、前回の花巻地区の前頁の盛岡地区部分を添付します。
以前にとまります様から1978年のものを添付いただいたことがありましたね。その時と、会社名以外はほとんど変わらないようです。

Re:更新後記(2018.11.25)

#1818名前:とまります時刻:2018-12-09 16:32:55返信報告:報告

75年の時刻表、これだけ見ても面白いですね。
「小岩井・啄木号」は後の盛岡市内定期観光バスでしょうか。
山伏線はやはり県南バスでしたか。『岩手のバス いまむかし』の中央バス発足の解説の中に「1949~50(昭和24~25)年には
それぞれ新車数両ずつを投入し(途中略)湯本線などを新設」とあって(23頁)、湯本って湯本温泉?と思っていたのです。
県南バスと相互乗り入れしてたのか?思っていました。
岩手急行バスは花巻盛岡線同様ローカル路線扱いだったのかもしれません。

本題から外れますが、花巻盛岡線といえば、82年11月号の「空港までの交通案内」のページ、盛岡-花巻空港への連絡バスとして、
何故か国道4号経由の花巻盛岡線の時刻が載っています(下)。
(「あの空港バス使用」は私の落書きです。国道経由便なので「あの空港バス」は使っていないはず)
同年8月号の同ページ(上)では高速道路経由で1日2往復と記されていたのに、ちょっと不思議です。

Re:更新後記(2018.11.25)

#1819名前:管理人時刻:2018-12-09 18:39:59返信報告:報告

「小岩井・啄木号」は、多分交通公社の主催で運行した後、乗合で行けると判断して、岩手観光バスが免許を取得したんでしょうね。
山伏線は、当初は県南バスと中央バスの相互乗り入れだったものを、中央バスがやめたんだと思います。
中央バスは、盛岡~田沢湖間も羽後交通と相互乗り入れで運行していましたが、どこかのタイミングで自社だけやめています。

花巻空港連絡バスについては、不思議ですね。
1975年の時刻表では、空港までのバスは航空の前頁にまとめられていますが、花巻空港は、95分前発の所要時間70分とあります。
連絡バスがあった感じの書き方です。
1982年の記載内容は、私の想像だと、全便に連絡しない連絡バスよりも、確実に動いている路線バスを優先して記載したのではないかと思いますが、どうでしょう。
ちなみに、”その頃”の空港バスは、TDA契約カラーでしたが、あの色になったのは、いつなんでしょう。ご存じですか?

Re:更新後記(2018.11.25)

#1821名前:とまります時刻:2018-12-09 19:50:44返信報告:報告

早速の回答ありがとうございます。色々なことが見えてきて実に興味深いです。
TDAカラーは84年には既にあったように思うのですが、85年秋に東北道走行中の空港行きを見たのははっきり覚えています。

>盛岡~田沢湖間
以前アップしたかもしれませんが、羽後交通の盛岡-田沢湖間急行バス開通の広告(左側)です。
1964年4月発行の山と渓谷社『アルパインガイド 八幡平国立公園と早池峰山』から。
右上は同年4月発行の山と渓谷社『東北の山』から。国見温泉について「雫石駅から2往復」とありますが、
「北緯40度の風景 雫石営業所の思い出」で車庫に掲げられた案内板の「橋場・国見行のりば」はこの名残りですね。

更新後記(2018.12.9)

#1820名前:管理人時刻:2018-12-09 18:52:14返信報告:報告

しばらく前から表紙写真などで触れてきましたが、大迫営業所がなくなるというので、訪問した時の写真を今回アップしました。
地方の宿場町に行くと、よく見かけることがあった、発着所や待合所をもつ正しいバス営業所の雰囲気を今まで残していました。
いつの間にか営業所ではなく、営業所の下部組織であるバスターミナルという呼び名になっていたようですが、その姿ともお別れだそうです。
大迫営業所については、本文を見て頂くとして、岩手フリーク以外の方には、今回、レアなボディメーカーの話題を、北海道の廃車体から触れてみました。
東新自工とか東浦自工とか、聞いたことがあるようでないような廃車体が現存するというので、北海道に行くついでに寄ってきました。
北海道というと、廃車体が相当数あるようですが、この2体を1日で見るには、日が短いこの季節、寄り道をしている時間がほとんどありませんでした。それでも、数より質という感じで、この2両を見ただけで、おなか一杯になりました。
東新自工も東浦自工も大阪の会社ですが、なぜ北海道に存在するのかについては、答えは導き出せていません。

DBR370

#1796名前:53時刻:2018-11-19 18:25:22返信報告:報告

こんばんは
サイト内の奥の細道  岩手県交通9のDBR370の写真ありました。1983年北上営業所で撮影。

83年7月の車両在籍表には、北上営業所から東和営業所に転属とあります。

年式は1977年式です。
でも、1978年の車両在籍表には記載してないとは ???

Re:DBR370

#1798名前:管理人時刻:2018-11-19 22:19:50返信報告:報告

53様、こんばんは。
いやあ、このバスも撮っていたんですか。
何でも撮ってますね。
1977年式とのことですが、登録番号の「岩22あ50」というのは、一番近い岩手観光バスの「岩22あ52」が1980年式以降の車両なので、同じころだと思われます。
つまり、1977年式を1980年頃にどこかから譲受したのだと考えられます。
添付した写真は、本文の岩手県交通の廃車体の所に掲載した、1986年撮影の私の写真です。
東和営業所に転属しながら、結局3年以内に廃車になって、北上に里帰りしていたということです。
10年と生きられなかった不遇の車両ですね。もう少し頑張れば、早池峰バスにでも行けたような気もしますが。

Re:DBR370

#1800名前:53時刻:2018-11-20 22:23:58返信報告:報告

管理人様 こんばんは
1年後の1984年8月10日に北上営業所を訪れたら、DBRは他の廃車体群と共に並んでいましたね。

管理人様もわたくしが撮影する2ヶ月前にここ来ているというのも驚きました。 34年も前の事・・

さらに1年後に尋ねたら、管理人様が撮影された場所に移動したようで

ちなみに左の県南REは、岩22か54、県南RCは岩22か99です。

Re:DBR370

#1801名前:管理人時刻:2018-11-22 21:17:16返信報告:報告

53様、こんばんは。
撮ってますねえ。
そして、私より先に気づいてしまったようですが、私も1984年6月にこの並びの左3台を見ていました。
ただし、RC100P(岩22か99)のみを撮っただけでした。今回よく見たら、隣りにDBRいますね。当時はマイクロには興味がなかったのでしょう。
(↓このページの一番下ですね)
http://www5e.biglobe.ne.jp/~iwate/vehicle/kenkotsu/scrap/kennan_rc100.html

そして、今回添付したのは、その1年後、1985年8月に撮った写真です。
北上営業所で、定位置(?)に置かれていますね。
座席はそのままの綺麗な状態で、ドアが開いていますので、清掃員さんの詰め所か何かに使われているのかも知れません。手頃な大きさですし。
いずれにせよ、このDBRは、前所有者と県交通で、それぞれ3~4年ずつしか使われずに廃車になってしまったわけです。
適当な用途がなかったのか、何か調子が悪かったのかは分かりませんが・・・。
53さんから頂いたDBRの写真、「その頃別の角度から」に近く掲載させていただきます。ナンバーのリストにも加えます。
色々ありがとうございます。

Re:DBR370

#1802名前:53時刻:2018-11-23 18:27:33返信報告:報告

管理人様こんばんは
笑ってしまうほどのニアミスです
管理人さんが今回添付した写真、わたくしも1985年8月にDBR撮ってます。8月29日撮影しました。 ドラム缶の位置、助手席に置かれたダンボール以外はほぼ同じ写真、車体の下の草の生え方なんて(笑)

33年前、まだバスの写真なんか撮ってる人が現代よりいない時代、まさか同じ年月にこのバスを撮影してる人がいるなんて、それも33年後にその事を知るとは思いませんでした。

Re:DBR370

#1803名前:管理人時刻:2018-11-23 22:39:06返信報告:報告

53様、こんばんは。
私がこの廃車体を撮影したのは、お盆の終りの1985年8月17日です。53さんより12日ほど前ですね。
お盆期間中に写真撮影の記録がないので、多分高校時代までの友達と遊んで、17日に盛岡に向けて帰ってきたのだと思います。
一関、大東、水沢、北上の各営業所で写真を撮りながら、最後は、盛岡駅前の国鉄バス盛岡支所で国鉄バスを撮って終了となっています。
一関までは多分、夜行の急行列車か、あるいは仙台まで東北急行バスで来て、朝から県内を縦断できるように計画したんでしょうね。
ちなみに、53さんが北上営業所にいた8月29日は、写真の記録がないので、何か別のことをしていたようです。運命が、その時代に53さんと遭遇しないように、調整した結果かもしれません。
2日前の8月27日は花巻営業所あたりで写真撮ってましたが。

Re:DBR370

#1805名前:53時刻:2018-11-26 17:40:02返信報告:報告

管理人様 こんばんは
1985年8月27日は管理人様は花巻営業所ですか、8月30日に私、花巻営業所に行ってます。
岩22か16や岩22か850など私が撮影した3日前に管理人さんが撮影されてたとは・・

HR86??今回添付写真の白枠にFOJICOLOR HR86 とありますが、85年に撮影して、プリントする金がなく翌年の86年にプリントしたのを思い出しました。

1985年の夏の帰省は岩手県交通に丸型BUや古い県南、中央カラーのバスがいなくなり、東北の他の県はどんな古いバスが走っているのだろうと思い、青森市営や秋田中央交通、羽後交通、横浜に帰る途中にはわざわざ宇都宮駅で下車して関東自動車撮影しました。

Re:DBR370

#1808名前:管理人時刻:2018-11-27 21:33:43返信報告:報告

花巻営業所は3日差でしたか。
私も現像だけして、焼き増しは使うコマだけにしていました。
フィルム写真は撮れば撮るだけ、お金がかかるものでしたからね。
フィルムそのものを節約するため、同じ形のバスは、ナンバーが違っていても撮らなかったりしてたので、今になると後悔もあります。
近隣県のバスも撮っておけばよかったと思います。
秋北バスなんか1回も撮りに行っていないんです。
みちのく号でいつでも行けたのに。

埼玉県の謎のキャブオーバーバスについて

#1795名前:浦田 慎時刻:2018-11-19 12:06:59返信報告:報告

記事、興味深く拝見いたしております。昔の記事についての話題ですみません。

埼玉県の謎のキャブオーバーバス(海和さんの苦悩編)で紹介されていた「車内から発見された紙の切れ端」ですが、これは国鉄貨車で運送する際に貨車に掲示される「貨車車票」です。

このバスが、富岡まで貨車で運ばれてきた際のもので、車票の様式から、昭和32年以降のものであることが分かります。

左に記入されているのが積み込まれた発駅です。発駅が関とすれば、岐阜乗合自動車から富岡に運ばれたという可能性も考えられるように思います(川崎航空機も比較的近い場所ですが)。

昭和32年ごろ、岐阜乗合自動車からの移籍(あるいは前所有者から上信に移る際に川崎でボディ換装した車)という可能性は無さそうでしょうか?

なにしろずいぶん前の記事ですので、すでに十分解明されているようでしたら、すみません。

Re:埼玉県の謎のキャブオーバーバスについて

#1797名前:管理人時刻:2018-11-19 22:12:40返信報告:報告

浦田 慎様、こんばんは。
貴重な情報、ありがとうございます。
貨車車票でしたか。それも昭和32年以降なのですね。
関駅と言えば、川崎航空機の工場にはごく近いところにありますね。(高山本線の方が近くを走っていますが、バスを貨車に積み込める貨物駅が関駅ということかも知れません)

解決編のところの車検証を見ると、上信電鉄の車検証発行が、A車は昭和29年、B車は昭和30年となっており、昭和32年より少し前になります。
そうなると、昭和32年に岐阜から運んでくる前に上信電鉄の所有になっていたわけで、車体改造を川崎で行ったと考えるのが、妥当ということかも知れませんね。
あの記事を書いてから、ほとんど解明は進んでいませんので、ありがたい情報です。
ここでは、当該の貨車車票をちょっと大きいサイズで添付します。
また、後日、この掲示板の内容を引用の上、本文に注書きを加筆させていただきます。

ありがとうございました。

Re:埼玉県の謎のキャブオーバーバスについて

#1799名前:浦田 慎時刻:2018-11-19 23:47:22返信報告:報告

管理人様 お返事いただきありがとうございます。また画像もお示しいただき感謝いたします。

昭和30年までに上信電鉄の所有になっていましたか。そうなると、言われる通り上信からいったん川崎航空機に運んだという可能性がありそうですね。

車票の書式として、「封印環記号番号」欄と「シート員数」欄は、昭和32年4月改正でこのようにそれぞれの記入欄が設けられました。封印環記号番号欄の上が品名欄ですが、ちょっとうまく文字が読めません。

道路事情がよくなかった30年代は、バスの貨車輸送はさほど珍しいものではありませんでしたが、断片とはいえ当時の貨車車票が残っていたのはすごいと思います。

このバス何でしょうか

#1792名前:元埼玉のバスfan時刻:2018-11-15 01:41:59返信報告:報告

 下記リンクの動画3分38秒から4分2秒に出て来るキャブオーバーのバス、BA551辺りでしょうか。或いは他種でしょうか。

https://www.youtube.com/watch?v=qvoZjbp9R1w

 側面最後窓の形状、そう言えばBXでないキャブオーバーでも見た記憶有ります。記憶力出来立ての頃で正確度が低くて残念ですが。あと一点、モヤモヤ記憶で
昔バス側面に「国際」ではなく「國際興業」と表示してあった記憶、この動画が真実である決め手になりました。

Re:このバス何でしょうか

#1793名前:管理人時刻:2018-11-16 20:31:57返信報告:報告

元埼玉のバスfanさん、こんばんは。
映っているバスは、BA351だと思います。
このページにある東武の廃車体と同じ形です。
http://www5e.biglobe.ne.jp/~iwate/vehicle/extra/scrap/kanto_02.html

あと、キャブオーバーではなくリアエンジンですね。
うしろのエンジン通気口が広告でふさがれた感じになっていますが、中央に1ヵ所、通気口がありました。

Re:このバス何でしょうか

#1794名前:元埼玉のバスfan時刻:2018-11-16 21:18:37返信報告:報告

[1793]管理人様:
 御教示有難う御座いました。リンクの東武のBA351を見て思いましたが、前面窓のピラーが太いのを見て、私が大昔に良く見たのは、このBA351の方
だったかもです。後ろの席がひな壇であった事も、リアエンジンの証ですし。やはり、あまりに小さい頃の記憶は、今では信憑性が低いです。

更新後記(2018.11.13)

#1791名前:管理人時刻:2018-11-13 18:15:46返信報告:報告

こんばんは。
また岩手県を訪問してしまいまして、気になっていた保存車と初対面することができました。
表紙写真がそのうちの代表的な1台で、2009年に桂田さんがサルベージした岩手県交通の日野RB10Pです。
現役時代のナンバーは「岩2く1542」で、これは「1970年代奥の細道」のタイトルに使っている写真の車両だと、教えられて気づきました。
・1976年の現役時代
http://www5e.biglobe.ne.jp/~iwate/vehicle/annex/1970s/index.html
・廃車体になって
http://www5e.biglobe.ne.jp/~iwate/vehicle/annex/scrap/kenkotsu_07.html
・サルベージ
http://www5e.biglobe.ne.jp/~iwate/alacarte/salvage/rb10p/index.html
という流れです。
岩手県南バス塗装の下に、クリーム色っぽい地色が見えるということです。
県南バスが新車で購入しているはずですが、1968年と言えば、既に後輩のRE100が登場している時期でもあります。
納車が遅れた理由に、ベースカラーがヒントになる可能性はあります。
もちろん、型落ちになった車両を購入するケースも、メーカー側事情、ユーザー側事情の双方であるわけなので、真相は分かりませんが。

羽後交通のトップドア新製車

#1782名前:左党89号時刻:2018-10-15 21:46:45返信報告:報告

前回の更新での話題に関連しますが、トップドア車を導入していた事業者にとっては、コンテンツでも触れられていたように交通バリアフリー法が一番のターニングポイントになったのかもしれません。
県北バスの場合、盛岡近郊のみならず宮古地区や一戸・伊保内管内でも2000年代からは前中扉の導入が進んでおり、高速・貸切転用車を除いて20年ほど前までは普通にトップドア車が走っていたとは信じられないほどです。
ところで、羽後交通田沢湖営業所では写真のブルーリボンが2台導入されています(秋田200か1245・1246)

特筆すべきはこの車両の製造が2016年12月。
2015年に現行型のLV/KV290系が登場したあともしばらく発売されていた自家用仕様を導入している点でしょう。
羽後交通に導入された中古車でも、田沢湖営業所の場合はエリアの特殊性からトップドア車が集中的に配置されていますが、こういう車の出玉もこれからは減っていくことを考えると新製導入も必要になってくるのかもしれません。

Re:羽後交通のトップドア新製車

#1783名前:管理人時刻:2018-10-18 16:56:43返信報告:報告

左党89号様、こんばんは。
羽後交通の田沢湖は前ドア車の宝庫でしたが、このような後継車が入ったんですね。
エルガ/ブルーリボンのモデルチェンジで、路線バス用のツーステップ設定がなくなりましたが、「自家用があるから何とかなるな」と思っていたら、その設定さえも無くなってしまいました。
観光路線などで座席を多く確保したいときは、自家用ベースの仕様は便利だったんですけどね。
メーカー側も、少量生産のバスに、イレギュラーな仕様をいろいろ揃えておく余裕はないわけで、仕方がない話ではありますが。
山岳道路のカーブで車高の低いノンステップが入れず、途中のアクセス路が狭隘で観光バスの12mは走れない、などという悪条件があったなら、道路の方を改良してもらえということでしょうね。
ここで添付した写真は、岩手県北バス・・・ではなくて、島原鉄道です。
島原鉄道も前ドア、ハイバックシート、メトロ窓、エアサスというデラックスな仕様を好んでいた会社でした。
カラーデザインもメーカーも岩手県北バスと共通性が高かったんですよね。
もちろん、最近の新車は普通の2ドアノンステップに変わりましたし、京王とかからの中古車まで入っていました。

更新後記(2018.10.26)

#1785名前:管理人時刻:2018-10-26 21:08:00返信報告:報告

関連性が出てきてしまったので、このスレッドを活用して更新後記です。
自家用バスがメーカーカタログの中できちんと区分されるようになったのはいつ頃からだろう、などと考えてみました。
やはりそれは1980年代だろうと思ったのですが、1970年代のいすゞBUで、すでに前ドア車をメインにした「自家用バス」のカタログが存在しました。
もっとも、この場合、前ドア2人掛けにしただけで、基本仕様が路線バスと変わるわけではありません。
1980年代のいすゞLV(キュービック)についても、同じような傾向でした。
キュービックでは、「一般観光」などという名前の下に小さく「自家用」と書いてあったりもします。「自家用」というより「一般観光」の仕様だと書く方が、見栄えが良かったのでしょうか。
そういえば、キュービックが発売されて間もなくの頃、そのカタログ(或いは広告)を見る機会があり、キュービックの前ドア車に「一般観光」の文字を見つけ、「観光バスもこのボディになるんだ!」と早合点した記憶があります。
ここで添付した画像は、大分交通の前ドア車です。どうやら自家用バスの譲受車のようです。こういう仕様が必要な場合は、しばらくは自家用バスの中古などを探して調達することになりそうです。

自家用仕様車

#1789名前:左党89号時刻:2018-11-08 22:36:40返信報告:報告

自家用仕様車といえば、トップドア・メトロ窓というパターンのようですが、先月訪れた弘南バス五所川原営業所では二段窓のLRが在籍していました。
車番が11001-3なので1998年式となりますが、同年式のいすゞ車の新製導入がなかったことから中古導入されたこの車両がいすゞ製の第1号車を取得しています。(登録番号が青森200か926なので2014~15年ごろの登録です)
もっとも正面デザインが変更される前のLRは新製導入された実績はありますが…。
※オフ会での撮影のため通常では撮影できない停車位置ですのであしからず

Re:自家用仕様車

#1790名前:管理人時刻:2018-11-11 22:12:35返信報告:報告

これは自家用の中古ということですか?
LRのこのマスクは、撮りたいと思って撮れるほど走っていないし、それの2段サッシというのは、より貴重ですね。おまけに短尺ですか。
こういうおかしな組み合わせのバスを見ると、所有者はどのような意図で発注したのかとか、ディーラーの営業マンとどんなやり取りをしたのかとか、興味が湧きます。
観光(自家用)タイプを買おうと思って「横の窓は上に開ける方式でいいや」というパターンと、路線タイプを買おうと思って「でも正面の方向幕はいらないから、大きな窓にしてよ」というパターンがあるでしょうね。多分後者の可能性が高いですが。
そういう時、営業マンも「それならカタログにある観光タイプにしましょうよ」とか言わずに、発注者の意図を汲み上げた結果がこのバスなんでしょうね。

年代物の送迎バス

#1786名前:ルージュバレルンガ時刻:2018-11-05 14:06:08返信報告:報告

昨日、群馬県のスキリーゾート施設付近で見かけました
年代物の送迎バスです。

仲間数人と行動していたため、
間近で観察は出来ませんでした。

日野RLといすゞジャーニーKと思われます。

日野RLの現役車は珍しいと思います。
ジャーニーKは登録番号から
1986年式でIKコーチ製です。

2台とも新車時からと思われる群22ナンバーと
草臥れた外観ながら現役なのが素敵です。 

所在場所も判明しておりますが、
所有者の許可を得ておりませんので、
伏せさせていただきます。

Re:年代物の送迎バス

#1787名前:ルージュバレルンガ時刻:2018-11-05 14:08:38返信報告:報告

もう一台の日野RLと思われるバスです。

Re:年代物の送迎バス

#1788名前:管理人時刻:2018-11-05 22:14:38返信報告:報告

ルージュバレルンガさん、ありがとうございます。
未だにモノコックボディがナンバーをつけているんですね。
日野RLは、フェンダ脇にサイドウィンカーがありますので、1980年頃のK-RL301のようですね。
いすゞLRも初期のモデルですので、現役車はそう多くはないと思います。よく見ると、IKコーチのバッジも見えます。
山の奥の自家用バスというのは、こういう物があるので、面白いです。

国際興業のBU10の縦長フロントウィンカー・・・見るなら今のうちです。

#1784名前:元埼玉のバスfan時刻:2018-10-24 22:58:36返信報告:報告

 投稿していいかどうかは別とします。不正だったなら削除して下さい。
 ネットの中に殆ど見つからないのですが、国際興業の角形ボディ二世代目の縦長の前側方向指示器の写真が、ヤフオクに出されていました。当然コピー
ガードはかかっていますし、これをするも掟に触れます。国際興業の当BU10が引退して35年経った今、貴重な写真です。私もこれが当時好きでした。1週程前、
何気なく「国際興業 BU」で画像検索したらこれが有り、ビックリしました。このサイトを見られている方々の大半が知っているなら余計な事にはなりますが、
知らない方で見たい方がいらっしゃいましたら、貴重なので今のうちしか見られないと思います。参考なまで。

更新後記(2018.10.9)

#1781名前:管理人時刻:2018-10-09 21:40:58返信報告:報告

今回、また久々に岩手県に足を踏み入れてしまいました。
というのも、大迫営業所(大迫バスターミナル)が今年度中に閉鎖になるというので、わんこ様からお誘いを受け、現地を訪問させていただいたのです。
街道に間口を広げての昔ながらのバス営業所の風情を残す大迫バスターミナルは、1980年代に見た時とほぼ変わらない姿でした。
もっとも、周辺の商店は、店を閉めてしまっているところも多く、裏街道になってしまっている現状でした。
この大迫については、次回以降に記事にさせていただく予定です。ただ、今回の「1970年代奥の細道」の所に、大迫営業所で待機する元花巻電鉄のバスの写真があったりします。

盛岡で一泊し、翌朝はバスセンターの周辺を歩いてきました。
建物がなくなってしまったバスセンターや河南営業所跡地などを歩きましたので盛岡バスセンター界隈のところに、画像を追加しました。
かつて八幡宮周辺に存在したと思われる営業所には足を運ばなかったのですが、帰ってきてから調べてみて、かつての遺構が残っているのではないかと気づきました。
すぐ近くまで行っていたのに、立ち寄らなかったのには後悔しています。
その代わり、逆側の中の橋付近まで行って、こんな写真だけは撮ってきました。岩手銀行中の橋支店は、今も変わりませんでした。

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