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80s岩手県のバス“その頃”掲示板

古いバスのこと、昔のバスの想い出、岩手県のこと、新幹線の看板などの掲示板です
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京王帝都 B3007

#1862名前:ねるねる時刻:2019-02-17 20:41:16返信報告:報告

大都会Part2「追跡180キロ」にて東京(駅)発沼津行の京王帝都バスが乗っ取られる話数あります。
当時京王帝都のTV出演の多さは他社を抜いてダントツだったこともありますが、他作品のような架空ではなく実在会社で撮ったのも今では出来ない芸当では無いでしょうか。

京王帝都 B3007(2)

#1863名前:ねるねる時刻:2019-02-17 20:45:57返信報告:報告

途中、多摩川河川敷で止まり膠着状態になりますがしびれを切らした犯人により再度発進します。
刑事役の俳優がそれを阻止しようとバスに捕まったりもしますが、運転手の帽子は京王帝都そのものでした。
さすがに運転手はカースタント専門の役者だと思いますが、制服まで貸与していたのでしょうかw

Re:京王帝都 B3007(2)

#1864名前:管理人時刻:2019-02-19 22:50:15返信報告:報告

こんばんは。
確かに1970年代のドラマには、京王のバスがよく出てきた記憶があります。そのままの名前で出てきたことも、多かったように思います。
しかし、バスジャックのようなネガティブなネタで実社名を出すのは、現在ではありえないでしょうね。
地方ロケなどでは、地元のホテルやバス会社が撮影協力をするというケースが多く、ドラマ中でわざとらしくホテル名をしゃべらせたりする場面があったりしました。
私も当時好きで見ていたドラマに出てきたホテルの名前を、今でも覚えていたりします。
今回の題材である大都会とその後継である西部警察は、電車やバスもかなり粗末に扱っていましたが。

更新後記(2019.2.12)

#1861名前:管理人時刻:2019-02-12 20:55:28返信報告:報告

今回で、1970年代のバスを振り返る「1970年代奥の細道」の岩手県編は完結しました。
板橋さんからは、1982年の新幹線開業直後の写真なども頂いていますので、「その頃別の角度から」のコーナーに場所を移して、次々回あたりから紹介します。
表紙写真は今回も引き続き甲府駅です。
元国際興業グループ各社の例に漏れず、路線、貸切の国際興業カラーに挟まって、オリジナルカラーも現役です。
秋北バスや十和田観光電鉄では、オリジナルカラーが復活していると聞きますが、山梨交通では古い車両がそのまま残されているため、まだ数が見られるという状態です。
ここで添付した写真では、リフト付きのキュービックが待機中。民間会社で初めて導入したリフト付きバスが、今も現役で活躍中。「イオンモール甲府昭和」のシャトルバスに入っていたので、何回も甲府駅に顔を見せてくれました。
カラーデザインをどうするかは、各社の経営判断なので、よそ者のコメントは無駄事ですが、こうして並んだ姿を見ると、昔からグリーン定着している富士急行と同じ県内での緑色は、
ちょっと芸がなく見えてしまいます。
同じ県内で競合する会社というのは、「赤バス」と「青バス」みたいに色で区別されることが多かったりするんですけど。

更新後記(2019.1.26)

#1855名前:管理人時刻:2019-01-26 22:03:36返信報告:報告

こんばんは。
今回のトップ画像は、今に生きるいすゞP-LV(初代キュービック)です。東京から1時間半ほどの場所に、今も原型そのもののP-LVが走っているのでした。
この日は、午前中に鰍沢から甲府の県立中央病院行に入っており、その帰り便の鰍沢行で甲府駅に乗り入れたところを捕まえました。
ちょうどポンコツ屋赤木さんが静岡から駆け付けるという話になったので、このバスに乗って鰍沢まで行き、そこで赤木さんと合流することにしました。
写真はその車内で撮ったもの。揺れる車内で撮ったので、ピントが手前のシートに合ってしまい、全体的にはピンボケの写真ですみません。
山梨交通がこの時期普通に導入していたセパレートのハイバックシートは、座り心地では、最近のノンステップバス、ワンステップバスとは比較にならないほど上等です。
また、この手のキュービックは、車体がキシキシ音を立てることが多いのですが、この車両に一切そんなことはなく、「矍鑠(かくしゃく)たる走り」などと意味を知らない言葉で表現したくなってしまうほどの、しっかり安定した乗り心地でした。
残りは2両だけのようですが、鰍沢営業所の1両は、山梨交通のオリジナルカラーを維持したまま、元気に活躍中です。

Re:更新後記(2019.1.26)

#1857名前:管理人時刻:2019-01-27 23:22:22返信報告:報告

自己レスになりますが、山梨交通のP-LV314Kは、今回の写真のC610だけになってしまったようです。
リンク先の「ぽっぽのページ」を見直して判明しました。

ちなみに、今月、「ぽっぽのページ」「仙台陸上交通資料館」「Club-SHINKO」をリンク集に新規に加えています。
近年、ブログ、ツイッター、インスタグラムという感じに新しい個人メディアが次々と誕生し、個人でWebサイトを作る人が確実に減っています。
しかし、体系的に写真などの資料を公開したり、ある程度の長文の解説文を掲載するには、今もWebサイトが最も適していると思っています。
そういう意味で、Webサイトを維持している貴重な皆さんは、是非、諦めないで続けてほしいという願いから、今になってリンク集を充実させようなどと思い直したわけです。
他にも優れたバス関係の個人サイトは、全国にあると思いますので、今後もリンクが増える可能性があります。

Re:更新後記(2019.1.26)

#1858名前:時刻:2019-01-31 01:06:09返信報告:報告

いすゞキュービックというと、U-やKC-とひとくくりにされてしまうことが多く、またKC-ファンも多いことからか、P-代の行く末が注目されてこなかったように思いますが、個人的にはP-代の外装・内装の繊細なデザインが好きで、後世に残してほしい一台です。

車内の写真を見て気づいたのは、標準床仕様だからでしょうか、側窓についている握り棒が、国際興業と違って高い位置に付いているんですね。それ以外にも、事業者によって内装品の種類や取り付け部が違ったりするのが、この頃までのバスの面白いところですね。

webサイトについては、個人で新たに作ろうとする人は今やほとんどいないと思います。ブログの方が気軽に開設できるというメリットはありますが、資料として後世まで残すことを考えると、やはりwebサイトの方がいいですよね・・

Re:更新後記(2019.1.26)

#1859名前:管理人時刻:2019-02-03 22:14:54返信報告:報告

LVは、KC-の方が人気があるんですか?
私は、窓の大きいP-が一番好きですね。後面の窓の窪み方も好きです。
U-になり、KC-になり、段々窓が小さく、窓柱が太くなり、軽快感がなくなってしまいました。
質的には向上しているんでしょうけどね。
ただ、KC-で登場したワンステップは、窓の大きさのバランスが前面と合っているので、結構好きだったりします。

側窓の握り棒、何のためについているんでしょう。
通路側からでは握れないし、窓側に座っている分にはつかむ必要はないし。

Re:更新後記(2019.1.26)

#1860名前:時刻:2019-02-03 22:51:41返信報告:報告

KC-はV8エンジンということだけで人気があるようですね。個人的には、エンジンから低音が響いてくると気持ち悪くなってしまうので、音は高めの方が好みだったりします。

握り棒は何のためなのでしょうね。推測としては、乗用車の窓上にある取っ手のように、ひどい揺れの時につかまるためのもののような気もしますし、席から立ち上がる時に使うとか、はたまた、大混雑の際、立席の人が窓に手を着かないように・・?
事業者によっては昔から装備されていないですし、装備されていた事業者でも不要と判断されたのか、いつしか無くなってしまったようです。

153系の2M3T編成どんな物だったでしょうか

#1853名前:元埼玉のバスfan時刻:2019-01-26 12:42:54返信報告:報告

 良からぬ質問投稿で恐縮です。
 大昔の153系現役時代、急行「伊豆」号があって、下田行と修善寺行の二つが連結されており、何処かで切り分かれて運行されていました。気に引っかかる
のが修善寺行ですが、クハ - サロ - モハ - モハ - クハ と言う、電動車2両で5両を負担した編成です。高校生だった当時も、牽引力からしても、
平坦路線でも運営不足気味では、と思っており、一回でも乗って見たかったのですが、結局乗らず終いになりました。速度も90km/hがいいとこ?と想像して
しまいます。加速度もかなり緩かったのではと思ってしまいます。何せMT46の100kwですので。
 実際に乗られた方いらしゃいませんでしょうか。どんな走行状況でしたのでしょうか。

Re:153系の2M3T編成どんな物だったでしょうか

#1854名前:管理人時刻:2019-01-26 21:48:56返信報告:報告

まあ、こういう話は、鉄道のメカに詳しい方にバトンをお預けするとして、私としては、それが100kWの2M3T(電動車比率0.67)であったにせよ、通常の運用区間において乗客にわかるほどの不都合が生じることはないのではないかなあ、と思います。
ちょうど関連写真があったので、1981年の153系急行伊豆の写真をお見せします。手前の10両が153系で、奥の5両が修善寺乗入れの5両です。
この時は、185系への置き換え途上だったため、5両の方は185系です。
これが185系統一後、特急あまぎと統合の上、現在も走る特急踊り子に変わりました。

なお、上げ足を取る気はありませんが、「何処かで切り分かれて」は当然ながら伊東線の分岐駅である熱海です。また、修善寺行5両にグリーン車はなく、サロではなくサハが挟まっていました。

Re:153系の2M3T編成どんな物だったでしょうか

#1856名前:元埼玉のバスfan時刻:2019-01-27 01:36:18返信報告:報告

[1854]管理人様:
 有難う御座いました。
 失礼致しました。乗った事も無かったので、熱海という印象も脳裏になく、又マニア時代を離れて永いので思い出しにくくて、何処かと書いてしまいました。
 あと、サハでしたか。もう記憶不明瞭でした。サロを挟んだ5両編成は、国鉄の時代結構あちらこちらで頻繁に目撃した記憶が有ったので。
 失礼無知な投稿で、済みません。

「路線バスの行き先表示窓」を拝読しました。

#1829名前:DELETE時刻:2018-12-29 15:51:05返信報告:報告

※この記事は削除されましたが、コメントが付いているため残されています。

Re:「路線バスの行き先表示窓」を拝読しました。

#1830名前:管理人時刻:2018-12-30 16:20:46返信報告:報告

書き込みありがとうございます。
言われてみれば成程と思える考察です。
そもそも方向幕の連動方式に、そんなに色々な組み合わせがあることを、初めて知りました。
個別方式と三連動くらいしか意識していませんでしたが、確かに系統幕が独立している場合は、連動の方式が単純には済まないですね。
運転席からの確認窓での視認は、確かに重要な要素です。
関東バスの場合、前後の系統幕と側面幕がセットになっていたわけですね。つまり、運転席でそのまま上を見上げれば行先系のセットが確認でき、横を見れば系統番号系のセットが確認できると。
確かに非常に合理的な説明です。

方向幕のメーカーもサイズや配置だけでなく、組み合わせもユーザーによって異なるというのは、商品のラインナップを揃えるのは大変だっただろうと、余計な心配をしてしまいます。
譲渡車が譲渡先で方向幕の一部しか活用していなかった理由も、このバリエーションの多さを考えれば、納得できます。

せっかくの新説ですので、本文中に注書きを加えたいと思います。しかし、それには「通りがかりです」という名前では味気ないので、何らかのHNのようなものがあれば、お知らせください。

Re:「路線バスの行き先表示窓」を拝読しました。

#1835名前:管理人時刻:2019-01-01 22:11:00返信報告:報告

文字では分かりにくいところもあると思いますので、本文の方にコラムとして、図解したものを掲載させていただきました。
http://www5e.biglobe.ne.jp/~iwate/vehicle/extra/primer/basic/display.html#column
細かい部分が実際どうだったかについては、実際に運転手だった方に聞けばわかるのかも知れませんが、大型幕になる前を知っている方は、もう定年退職しているんでしょうね。
西鉄をはじめ、大型幕やLEDになっても系統番号を向かって右側に表示している事業者は、やはり「見やすさ」を考慮しているんだろうと思います。
首都圏の系統番号が意識されにくいのは事実だと思います。その原因は、数字よりも漢字が目立つせいじゃないかと思っていますが、この件に関しては、違う議論になるのでここまでに。
(入力ミスの部分は私の方で修正しました)

Re:「路線バスの行き先表示窓」を拝読しました。

#1841名前:管理人時刻:2019-01-02 16:35:51返信報告:報告

コメントありがとうございます。
私の誤認については、本文の修正をしました。
また、2-Aの画像は、確かに後面に系統番号があると、前面と連動できませんので、行先のみに修正しました。

図解は飽くまでも仕組みを分かりやすく伝えるためなので、各社の表示内容の違いなどは、反映していません。
側面の表示には、経由地を並列表示するものですが、最終的に方向を指定して行先が固定されるものは「行き先」、往復を共用するものは「起←→終点」と統一しています。
幕にどう表示するかは、ソフト面の問題なので、また別の機会に取り上げられれば。

なお、この掲示板では、「編集キー」にご自分のキーワードを入れておけば、後に修正などができますので、ご活用ください。
(正誤の2ヵ所は、私の方で修正しました。)

Re:削除された記事

#1843名前:とまります時刻:2019-01-04 19:35:38返信報告:報告

> ※この記事は削除されましたが、コメントが付いているため残されています。
記事が削除されたようで、話を続けていいものかどうか・・・

方向幕装置の件ですが、JRバス東北の方向幕動画を見つけたのですが、
上の動画では正面と側面は連動しているものの選別は手動なのに対し、
下の動画では連動し、かつ自動で選別しています。
車両番号から下の動画の車のほうが新しいようですが、装置そのものが違うのか、
あるいは選別機能について自動⇔手動の切り替えスイッチがあるのか・・・?
https://www.youtube.com/watch?v=dgcrCT7v3sA
https://www.youtube.com/watch?v=Ltb5NcVuhQ4
県北バスの高速車(路線格下げ車)でも、盛岡駅で見た限りでは三面連動するものの手動選別と
自動選別するものとがあったと記憶しています。

方向幕装置については、こんなサイトを見つけました。
http://pstm.sakura.ne.jp/FilmNostalgia/

最後になりましたが、今年も興味深い特集を期待しています。

Re:「路線バスの行き先表示窓」を拝読しました。

#1844名前:管理人時刻:2019-01-04 20:48:52返信報告:報告

あれあれ、スレッド主が全文削除をしてしまったのですね。
ログも取っていなかったので、貴重な内容がすべて消えてしまいました。書き込みをもとに私が本文に展開した内容が唯一の遺物です。
元々は、関東バスの系統幕が向かって右側にあることに関して、西鉄などのように「利用者から見やすいから」と私が記述したのに対し、「巻取器が2系統あり、行先関係は前面の確認窓を、系統番号関係は側面の確認窓を運転手が確認しやすいように、前面方向幕を向かって左側に配置したのではないか」という説を述べられていました。
そこから派生して、連動の組み合わせが複数あることについて書かれており、その部分を、私が本文のコラムに追加したわけです。
文中に幾度か修正があったため、編集キーの存在をお教えしたのですが、全文削除とは予想外の出来事でした。
色々思いもあるのでしょうが、本来は部分修正、加筆にとどめて頂くのが理想でした。
もし削除をせざるを得ない事情があるのなら、その辺をコメントをしていただいた上で、やって頂くなら、諦めも付くのですが・・・。
何と言いますか、お客様をもてなそうとして、台所に行っている間に、何のコメントもなく帰られてしまったような気持ちです。
また気が向いたら、お寄りください。類似したコメントでも結構です。私が本文に加筆した部分については、そのままにしておきます。
なので、とまります様の書き込みについては、もう少ししてから、落ち着いてコメントさせていただきます。

Re:「路線バスの行き先表示窓」を拝読しました。

#1845名前:通りがかりです時刻:2019-01-04 22:07:43返信報告:報告

ご迷惑をお掛けしております。

2日夕方、#1842で返信申し上げ、既に十分お読みいただいたと思い、また、常連でもない者が長文を貼り付けておくのもお邪魔かと思い、修正版を送信申し上げた後、本日削除してしまいました。
すみません。

また、折に触れて楽しく拝見致したく存じております。
興味深い記事をありがとうございます。

Re:「路線バスの行き先表示窓」を拝読しました。

#1846名前:管理人時刻:2019-01-04 23:48:14返信報告:報告

まあ、常連さんだけに門戸を開いているわけではありませんので、気軽にお越しいただければ。
今の世の中は「空気を読む」みたいなことが重要視されておりますし、それはそれで大事なのですが、今回は、確かに長文を読み砕くのは大変でしたが、私自身がそれに食いついて、その日のうちに本文に展開してしまったのは、内容が興味深かったからにほかなりません。

とまります様
動きがよく分かる動画ですね。
都南村民様からメールをいただきまして、巻取器にも色々なメーカーがあるようで、ユーザーの要望も多岐にわたり、メーカーもたくさんあるのなら、その類型をまとめるのは、一筋縄ではいかないかも知れません。
方向幕がなくなり、LED表示器に統一されつつある今、こういった過去の遺物を研究するのも大事かも知れません。

Re:「路線バスの行き先表示窓」を拝読しました。

#1850名前:左党89号時刻:2019-01-12 23:18:30返信報告:報告

遅くなりましたが今年もよろしくお願いします。
行先表示で思い出すのが学生時代を過ごした仙台の市営バスです。
市営バスの循環系統の場合、途中で行先表示を切り替えるのですが、三連動になっている大型方向幕車の場合は番号を設定して起動ボタンで変更していたのに対し、小型方向幕車では前面と側面それぞれを動かす必要がありました。
青葉城址循環で広瀬通経由の場合、(東北大)工学部を過ぎてから青葉城址のカーブの多い区間で単動のスイッチをルームミラーで側面方向幕の動きを見ながら押すという荒業をしていた運転士も…もちろん前方確認はきちんとしていましたけど、今だったら「ながら運転」で苦情電話が入りかねないですね・

Re:「路線バスの行き先表示窓」を拝読しました。

#1851名前:時刻:2019-01-14 14:42:39返信報告:報告

こんにちは。
行き先表示窓の動作ってどうなっていたんだろうと不思議に思いつつ、頭が混乱するのであまり考えないようにしていたのですが、色々分かってくると面白いですね。

ちょっと話はずれますが。サイトの表示関連でワンマン表示灯の説明がありますね。確かに緑地に白文字は多数派ですが、初期は黄色文字だったと思います。また、ワンマンの「ン」の文字が小さいタイプが比較的古いもので、その後各文字の大きさが揃えられました。ただし部品を使いまわすことも多いようで、新型車両に古いワンマン表示灯、またその逆が付く例もあったようです。

Re:「路線バスの行き先表示窓」を拝読しました。

#1852名前:管理人時刻:2019-01-14 22:15:59返信報告:報告

左党89号様、獣様、こんばんは。

循環系統の途中で方向幕を回す例はそれなりにあったと思いますが、走行中に動かすケースもあったんですね。
側面ならまだ目視できないこともない位置にありますが、さすがに後面までは無理ですね。
1970年前後に、首都圏のバスが後面の方向幕を一時的に廃止したことがありました。手動の時代に、わざわざ後ろまで行って方向幕を回すという手間を省くためだと聞いています。
その時期には、方向幕のついていた車両も、白幕、社名表示などに変わり、行き先を表示しなくなっていました。

更新後記(2019.1.8)

#1849名前:DELETE時刻:2019-01-08 22:51:34返信報告:報告

今年初めての更新は、メイキング・オブ・廃バス見聞録の最新版をお届けします。
主役は人知れずたたずむ廃車体のはずだったのですが、立ち寄った「生きている古バス」に引っかかってしまいました。
1984(昭和59)年に川上村が導入したスクールバス用の日野HTが、村内の山荘で送迎バスとして生き延びていたのですが、このタイミングで後輩に代替され、廃車になるというのです。
経営者の方も、愛着があり、引受先を探しているとのこと。
ポンコツ屋赤木さんのブログに、その辺のことが詳しく書いてありますので、ご参照ください。
https://blogs.yahoo.co.jp/ponkotz_8/37240210.html
今となっては、前も後ろも角張ったスケルトンバスは、そうは見られなくなりました。
大切にしていただける方がおられたら・・・いいなあ、と思います。

あと、岩手県交通大迫営業所の歴史が閉じられました。
心から惜しんでいただいた社員の方や近所の方、そしてファンの方がおられたというのは、心に響くお話でした。

ハンドル右寄せ仕様

#1847名前:ポンコツ屋 赤木時刻:2019-01-06 08:55:35返信報告:報告

「入門その頃のバス〜 路線バスの低床車」の更新拝見しました。

その中で「1972年以降のREのリーフサス車にハンドル位置を標準車より95mm右へオフセットした低床ワンマン・ハンドル右寄せ仕様を設定」とあり、ふと思い出しました。

中学の頃、東急バスの営業所に1973年度車4R105改を撮りに行って、説明してくれた運転士さんから聞いたのは「こいつは欠陥車で、すぐ左をぶつけるんだ」ということでした。
つまりUD-富士3Eの低床車黎明期もハンドルを右にオフセットしていて、欠陥車とは大げさですが、車幅感覚が従来車と異なるのは確かなようです。

この低床4Rは前ドアから乗り込んだ時の印象も、床が低いだけでなくステップの奥行きが2段とも長くて、標準床車(斜め顔の4R110など)が急な階段を登るような気分なのに対し、スタスタと乗り込めるイマドキの車体に近かったのでした。

次のU20Hも低床で導入されましたが、ハンドルの位置がどうだったのかはわかりません。
ということで、BU06やMR系の初期の低床車はどうだったのだろうと気になった次第です。

4R105改の真正面の画像を貼っておきます。ハンドルが寄せてあるような、ないような……判然としませんね。

Re:ハンドル右寄せ仕様

#1848名前:管理人時刻:2019-01-06 13:00:06返信報告:報告

ポンコツ屋 赤木さん、こんにちは。
カタログ等の図面を見てみましたが、運転席の位置を数値で記載しているのは、日野だけでした。なので、他のメーカーがどのような位置だったのかは、分からないんですよね。
約10cm程度の差なので、写真で判別できるかどうかは分かりませんが、4R105改より前のバス(赤木さんの言う斜め富士)の正面の写真と比べるのが一番でしょうか。
ここでは、4R105改の後継のU20のカタログから、広くなったステップの写真です。確かに、乗りやすそうなステップになっています。
同じ時期のBUのカタログの写真でも「乗り降りらくらく」とか書いてあるのですが、モデルが子供のせいもありますが、上るのが大変そうな高さです。
低床と標準床を比較したつもりのようですが、山梨交通に納品する車両をモデルに使った路線車が低床でなく、標準床の自家用より高く見えるのがなんとも。
この両者比較では、いすゞのPR下手が際立ってしまいました。

運転席が右に寄っているので左をぶつけやすいという話は、聞いたことがあります。それも2000年代に入ってからの日野車で。

更新後記(2018.12.28)

#1828名前:管理人時刻:2018-12-28 21:03:41返信報告:報告

久々に、ロンドンバスの新しい使い方を発見したので、「ラコリーナ近江八幡」へ行って来ました。
基本的には自社商品のお菓子を販売する観光施設ですが、レイアウトや建物に趣向が凝らしてあり、テーマパークのようなイメージの場所でした。
そしてこのロンドンバスがある場所は、「フードガレージ」という名称で、修理工場をテーマにした施設になっています。
店内にはロンドンバス、フィアット、シトロエンを中心に、工場っぽい巧みな演出がなされています。こういう雰囲気の中では、商品でさえ、工具や備品かのような錯覚を起こします。
建物の脇には、ボンネットやエンジンを外されたミニのボディが、茂みに埋もれていますが、もちろんこれも演出です。
どうして工場というモチーフを選んだのか・・・は分かりませんし、ここ以外に車偏の雰囲気は微塵もないわけですが、その唐突さがこれをまた余計に引き立てているようにも思います。
カップルやグループで訪れる若い女性が、喜んでスマホを向けて写真を撮っている姿が、その答えかもしれません。

Re:更新後記(2018.12.28)

#1831名前:ぽんたか時刻:2018-12-30 23:22:01返信報告:報告

管理人様
ロンドンバスの塗装が剥げた感じ、おもしろい使い方ですね。
ロンドンバスと言えば、クリスマスに横浜で見かけました。
私はボンネットバスが好きですが、イベントではロンドンバス
のほうが人気があるのかもしれません。

Re:更新後記(2018.12.28)

#1834名前:管理人時刻:2019-01-01 21:50:57返信報告:報告

ぽんたか様、こんばんは。
ロンドンバスは、ボンネットバスと同じで、一般の方にも面白いものが来たと思ってもらえるのがメリットですね。
おまけに図体が大きいので、目立ちます。
アドバスの使い方で都会を走っているのも、そのせいでしょうね。もっとも、ボンネットバスと同じく古い車両なので、部品の確保とか、走行可能なコンディションに保つのは、大変なんだろうなあ、と想像します。
ラコリーナ近江八幡の“修理中の”ロンドンバスも、クリスマスには装飾を施して、来店者を喜ばせたらしいです。

更新後記(2018.11.25)

#1804名前:管理人時刻:2018-11-25 16:13:23返信報告:報告

こんばんは。
疑問点を整理するのに時間がかかりましたが、ようやく花巻バスセンター周辺の謎を解明することができてきました。
この掲示板で、色々とお教えいただいたことを、まとめ直した形です。
http://bbsee.info/days_1980/id/1355.html#a1358
写真についても、ここで投稿いただいた、とまります様の写真を使用させていただきました。
私自身も、先月、岩手県に足を踏み入れた際に、現地を回ってみました。花巻バスセンターの跡地は、30年以上たった今も、更地の駐車場でした。その一角に、バスセンターが建っていたとは、教えてもらわなければ分かりません。

ここで添付した写真は、今回見てきた末広町バス停です。
思えば、1984年に「花巻バスセンターはどこにあるんだろう」と思って訪ねた時も、バスの終点付近にあるんだとうと思って、来てみたはずです。
末広町のバス停はたくさんあるけど、バスセンターらしきものはないなあ、と思って、そのまま花巻駅に引き返したのだと思います。
30年以上も後に、疑問が解決するとは思わずに。
もっとも、バスセンターがあった頃の建物の写真は、未だに見たことがありません。

Re:更新後記(2018.11.25)

#1806名前:とまります時刻:2018-11-26 20:32:29返信報告:報告

こんばんは。
花巻バスセンターの件から3年も経ったんですね。つい熱くなってしまい申し訳ありませんでした。
その後も図書館などで花巻の記録写真集を調べてみたのですが、バスセンターの写真はどうしても見つかりません。
建物の中は、入って右側に売店、左側に窓口でその間にベンチ椅子が並び、乗り場入口には駅の改札口のような柵があり、
到着・発車のアナウンスもあったと記憶しています。
実は、親戚でその昔花巻バスに勤めていた人がいまして、桜木町の営業所を知っていました。
営業所の近くに美容室があったと言っていて、今もそれと思しき美容室があるので写真の白で囲んだ場所でビンゴだと思います。
(上は地図・空中写真閲覧サービスから1962年の様子、下はグーグルマップから。今は製材所の資材置き場になっています。)

Re:更新後記(2018.11.25)

#1807名前:とまります時刻:2018-11-26 21:14:47返信報告:報告

連続投稿失礼します。
画像は82年か83年の花巻管内時刻表で、石鳥谷線と花巻温泉線のものをUPしてみました。
(見難くてすみません。赤線は私が当時引いたものです)
花巻温泉行は賢治詩碑発着、台温泉行はバスセンター発着となっています。

Re:更新後記(2018.11.25)

#1809名前:管理人時刻:2018-11-27 21:45:54返信報告:報告

とまりますさん、こんばんは。
花巻バスセンターの内部は、盛岡バスセンターにも似ていたということでしょうか。
外形も似ていたんじゃないかと思っています。
しかし、親戚の方が花巻バスにお勤めだったとは。
また色々と謎解きができるかも知れませんね。
添付頂いた時刻表、今外出中で、他の資料との比較分析が出来ないので、それについては後日。

Re:更新後記(2018.11.25)

#1810名前:とまります時刻:2018-11-28 20:25:24返信報告:報告

1982年(83年かもしれません)の花巻管内時刻表から、先日UPしたもの以外の時刻表です。
UPできるサイズにするとどうしても文字が見難くなってしまって申し訳ないのですが・・・

Re:更新後記(2018.11.25)

#1811名前:とまります時刻:2018-11-28 20:30:35返信報告:報告

続きです。

もともとは1枚もので、東和営業所の路線も載っています。
1枚ものの時刻表から各路線のものを切り抜き、それを厚紙に貼って綴じたものが
当時乗ったバス(花巻バスカラーの天下田線だったと思います)の入口付近につり下げられていて、
それをまねてみたものです。
花巻市内の路線で、湯口線・太田線・鍋倉線以外は花巻バスセンターを経由していたと記憶しています。
(35年以上前の話なので記憶違いがあるかもしれません。ご容赦下さい。)

Re:更新後記(2018.11.25)

#1812名前:管理人時刻:2018-11-29 22:38:47返信報告:報告

とまりますさん、こんばんは。
少し時間を頂いてしまいましたが、あまり見えてきません。
以前(2015.12.6)にこの画像掲示板で、この話題が出てきたとき、花巻温泉線に関して、とまりますさんの推理では「湯本学校経由=花巻バス、松山寺経由=花巻電鉄」でしたね。
その根拠が、湯本学校経由は花巻バスセンター発着である、という話でした。
今回の時刻表では、それを裏付けるような系統の差異が見て取れますね。
松山寺経由は賢治詩碑前発着で、花巻バスセンターを経由しますが、これは合併したことで末広町経由を花巻バスセンター経由に読み替えただけかもしれませんし。
湯本学校前経由と松山寺経由に、運行会社の違いという根本的な違いがあったのか。う~ん。

Re:更新後記(2018.11.25)

#1813名前:とまります時刻:2018-12-01 19:04:14返信報告:報告

こんばんは。
3年経っても何も分からなかったというのが正直なところでして・・・
(石鳥谷-八日市-湯本学校-花巻温泉は花巻バスの路線のようです)
>賢治詩碑発着便
花巻バスの花巻駅-桜町(賢治詩碑?)間の路線を「市内線」と言っていたそうで、これと中央バスの花巻温泉行とを
1本にまとめたものと思われます。

>湯本学校経由便
ネコパブリッシング『花巻電鉄(上)』に掲載されている1970年の電鉄バス花巻駅-花巻温泉-台温泉間の時刻表を改めて見てみると、
花巻駅-花巻温泉間の所要時間が25分となっています。
先日UPした時刻表でも、湯本学校前経由台温泉行の花巻駅-花巻温泉間の所要時間は25分。
道路事情に多少の変化はあったでしょうが、所要時間から見れば電鉄バスの台温泉行も湯本学校前を経由していたものと思われます。
この点で、湯本学校経由便が花巻バスだったというには無理があり過ぎですね・・・。
30年以上前に見かけた古いガイドブックの「花巻温泉:花巻駅から花巻バス・岩手中央バスで○○分」という記述がノイズになっていました。
台温泉行がなぜバスセンター発着だったのかは結局は謎のままです。

画像はコンパス時刻表77年3月号のもので、上の「花巻-花巻温泉」は松山寺経由便です。
ちょうど1年前の時刻表だったらよかったのですが・・・

Re:更新後記(2018.11.25)

#1814名前:とまります時刻:2018-12-01 19:25:09返信報告:報告

湯本学校経由便が花巻バスでは?と勘違いしたもう1つの原因が、この写真。
80年代中頃の花巻温泉の観光パンフで、写真の撮影時期は80年代初め頃と思われます。
ホテル花巻の裏(写真では手前)を花巻バスが走っていて、台温泉発花巻バスセンター(or賢治詩碑)行きだと思いますが、
花巻温泉・台温泉行では花巻バスカラー・中央バスカラーが入り混じって走っていたのに対し、湯口線・鍋倉線・太田線では
花巻バスカラーを見た記憶がありません。笹間や東和、北上方面に向かう中央バスカラーも記憶にないです。
単に見ていなかっただけの可能性が高いのですが・・・
(ちなみに、通っていた小学校は湯口線・鍋倉線沿線で、教室の窓からもバスの行き来を眺めることができました。)
“その頃”に盛岡バスセンターで待機する花巻バスカラーの急行花巻行もしっかり見ていますし、合併後しばらくの間は
旧社の路線では旧社のカラーの車を使っていたものと思い込んでいたのです。
尤も、そうではないことは『岩手のバス いまむかし』を見れば分かるのですが(電鉄カラーの二子行、更木経由北上行)。

Re:更新後記(2018.11.25)

#1815名前:管理人時刻:2018-12-05 17:27:11返信報告:報告

調べるならとことんまで、ということで、1975年の交通公社時刻表を入手してしまいました。
奥東北という言葉があったのか、という感じですが、花巻駅~花巻温泉、台温泉、新鉛温泉いずれも、岩手中央バス(つまり旧花巻電鉄)の運行です。
盛岡や二枚橋からの花巻温泉行の時刻は掲載されていません。

Re:更新後記(2018.11.25)

#1816名前:とまります時刻:2018-12-07 20:34:21返信報告:報告

こんばんは。
花巻温泉・台温泉行の始発はどこかが気になるところですが(花巻駅か?中央バス営業所か?)、
まずはモヤモヤが晴れてスッキリしました。
件の親戚によると、花巻駅の西側・中央バス営業所近辺を1周するような花巻バスの循環線があったとのことで、
70年代初めの市街地地図を見たら確かにそれらしき路線が描かれていました。
また、笹間営業所の名残なのか、中央バスエリアの太田地区にある清水寺へも花巻バスが乗り入れていたようなことも言っていましたので
(例大祭の時は臨時バスが運行され乗務したことがあるとのこと)、意外なところで2社が競合していたようです。
しかし、詳しいことは当時の中の人に聞かないと分からないですね・・・アレコレ推理するのは楽しいのですが。
(ちなみに、件の親戚は北上へ本社が移転する前に退職したそうです。)

75年の時刻表、読みふけってしまいそうですね。この時刻表をネタにミニコーナーがつくれそうです。

8日追加
こちらのサイトにこの画像があったのを忘れていました>花巻地区路線図
http://www5e.biglobe.ne.jp/~iwate/alacarte/annex/mukashi_name/index.html
市外局番から、県交通発足後から78年2月までに作成されたものと思われますが、なかなか興味深いです。
当時も清水寺行きというのがあったんですね。太田線の1系統だったのかなと想像したり。

Re:更新後記(2018.11.25)

#1817名前:管理人時刻:2018-12-08 22:22:13返信報告:報告

こういった市販の時刻表は、国鉄線から乗り換えてどのように旅行するかが掲載のポイントなので、バスの路線系統とは無関係で、国鉄駅を起終点に掲載されるんですね。
ちなみに、国鉄バスが共同運行している盛岡~一関~仙台間の特急バスは掲載されていましたが、岩手急行バスの盛岡~一関間急行バスは見当たりませんでした。
ここでは、前回の花巻地区の前頁の盛岡地区部分を添付します。
以前にとまります様から1978年のものを添付いただいたことがありましたね。その時と、会社名以外はほとんど変わらないようです。

Re:更新後記(2018.11.25)

#1818名前:とまります時刻:2018-12-09 16:32:55返信報告:報告

75年の時刻表、これだけ見ても面白いですね。
「小岩井・啄木号」は後の盛岡市内定期観光バスでしょうか。
山伏線はやはり県南バスでしたか。『岩手のバス いまむかし』の中央バス発足の解説の中に「1949~50(昭和24~25)年には
それぞれ新車数両ずつを投入し(途中略)湯本線などを新設」とあって(23頁)、湯本って湯本温泉?と思っていたのです。
県南バスと相互乗り入れしてたのか?思っていました。
岩手急行バスは花巻盛岡線同様ローカル路線扱いだったのかもしれません。

本題から外れますが、花巻盛岡線といえば、82年11月号の「空港までの交通案内」のページ、盛岡-花巻空港への連絡バスとして、
何故か国道4号経由の花巻盛岡線の時刻が載っています(下)。
(「あの空港バス使用」は私の落書きです。国道経由便なので「あの空港バス」は使っていないはず)
同年8月号の同ページ(上)では高速道路経由で1日2往復と記されていたのに、ちょっと不思議です。

Re:更新後記(2018.11.25)

#1819名前:管理人時刻:2018-12-09 18:39:59返信報告:報告

「小岩井・啄木号」は、多分交通公社の主催で運行した後、乗合で行けると判断して、岩手観光バスが免許を取得したんでしょうね。
山伏線は、当初は県南バスと中央バスの相互乗り入れだったものを、中央バスがやめたんだと思います。
中央バスは、盛岡~田沢湖間も羽後交通と相互乗り入れで運行していましたが、どこかのタイミングで自社だけやめています。

花巻空港連絡バスについては、不思議ですね。
1975年の時刻表では、空港までのバスは航空の前頁にまとめられていますが、花巻空港は、95分前発の所要時間70分とあります。
連絡バスがあった感じの書き方です。
1982年の記載内容は、私の想像だと、全便に連絡しない連絡バスよりも、確実に動いている路線バスを優先して記載したのではないかと思いますが、どうでしょう。
ちなみに、”その頃”の空港バスは、TDA契約カラーでしたが、あの色になったのは、いつなんでしょう。ご存じですか?

Re:更新後記(2018.11.25)

#1821名前:とまります時刻:2018-12-09 19:50:44返信報告:報告

早速の回答ありがとうございます。色々なことが見えてきて実に興味深いです。
TDAカラーは84年には既にあったように思うのですが、85年秋に東北道走行中の空港行きを見たのははっきり覚えています。

>盛岡~田沢湖間
以前アップしたかもしれませんが、羽後交通の盛岡-田沢湖間急行バス開通の広告(左側)です。
1964年4月発行の山と渓谷社『アルパインガイド 八幡平国立公園と早池峰山』から。
右上は同年4月発行の山と渓谷社『東北の山』から。国見温泉について「雫石駅から2往復」とありますが、
「北緯40度の風景 雫石営業所の思い出」で車庫に掲げられた案内板の「橋場・国見行のりば」はこの名残りですね。

Re:更新後記(2018.11.25)

#1822名前:オペレッタ601号時刻:2018-12-17 01:11:25返信報告:報告

横から失礼します。また、長文で申し訳ありません。

コンテンツ「花巻バスセンターとその周辺」とこのスレッドの内容を見て昔の記憶を思い出しながら、ココにまとめてみました。

私は岩手県交通発足前後に石鳥谷線・門屋線でバス通学をしており、乗車していた車輌のほとんどが三菱車で既にワンマン化も完了していたこともあってか、花巻バスオリジナルのMR410か神奈中からのMR490といったところでした。岩手県交通発足後も暫くはその状況は変わらず(このあたりの事情は「岩手のバスいまむかし」にも書かれていますね)でしたが、初めて見た岩交青銀カラー(先月UPされた岩22か800・日野RB10、色褪せた赤色のビニールシートから中古車とわかってしまいましたが…)に衝撃を受け、新車のRE100やBU04もよく見ましたがいずれも石鳥谷線には入らない旧県南バス北上・水沢の車輌だったので羨ましく思ったものです。

転機となったのが合併翌年の昭和52年、確か春先だったと思いますが、花北営業所受け持ちだった石鳥谷線・門屋線の一部が北上営業所に移管されたことで、前述の新車他県南バスカラーの車輌も多数石鳥谷線に入るようになったこととと、さらには中央バスカラーの丸型BU10も入るようになったことから、非常にバラエティに富んだ路線へと一変したことです。
もしかしたらこの石鳥谷線一部移管のタイミングで「飯豊の旧花巻バス花北営業所+旧中央バス花巻営業所→本舘の岩交花巻営業所」となったのかなと考えたのですが…。
ただ、ココでの話から判断すると県南バスカラーの石鳥谷線進出、北上営業所への一部移管と本館への花巻営業所移転・統合のタイムラグが数ヶ月生じてしまう訳で、実際にはどうだったかな?という記憶が曖昧なんです。
また電鉄カラーや国際興業カラーを北上では見た記憶が無かったのですが、「岩手のバスいまむかし」ではしっかりと「更木経由北上駅」の電鉄カラー車が写っていましたね。

ところで#1814の花巻温泉の上空からの写真ですが、三つのホテルの内最後の昭和60年3月にオープンしたのが右側のホテル千秋閣なので、撮影時期も恐らく“その頃”だと思います。

もうひとつ、TDAカラーの花巻空港連絡バスですが(12/19追加)、昭和59年2月に撮影しており、その前の年、花巻空港新ターミナルビル開業・ジェット機就航時に登場したと記憶しています。

Re:更新後記(2018.11.25)

#1823名前:とまります時刻:2018-12-17 20:31:45返信報告:報告

>花巻温泉の上空からの写真
ホームページで確認したら、ご指摘の通り1985年頃の撮影と思われます。お詫びして訂正します。
この頃でも花巻バスカラーが残っていたんですね。
この年の秋、盛岡バスセンターで待機中の元花巻バスのREを見たのが、現役の花巻バスカラーの最後だったと記憶しています。
花巻最後の(?)中央バスカラーだったBU20が青銀カラーに変更になったのも、1985年の夏頃だったと思います。

>旧社の路線では旧社のカラーの車を使っていたものと思い込んでいたのです
>笹間や東和、北上方面に向かう中央バスカラーも記憶にないです
リンク先の『BJ41-Vの部屋』の「全国の新旧路線バス 車両資料館」にある「旧岩手中央バス」に、「笹間」を表示している
BU10の写真があり、こちらの「方向幕100連発・岩手県交通編」にも「横志田」の行先を表示している中央バスカラーの
写真があり、初めて見たときはへぇ~と驚きました。

話が外れますが、80年代初めに「尻平川」行きがあったのははっきり覚えているのですが(青銀カラーのふそう車でした)、
「100連発」では「横志田」と表示。距離にしてバス停1つ分、1㎞弱なのになんでだろう、と思ったのでした。

Re:更新後記(2018.11.25)

#1824名前:管理人時刻:2018-12-18 22:24:28返信報告:報告

オペレッタ601号様、とまります様、こんばんは。
記憶というのは大事なんですよね。特に学生時代の記憶は、学年と紐づいているので、かなり正確に時期を特定できるのだと思います。
本舘の花巻営業所は、1976年6月の空中写真では、すでに建物ができていて、整地も終えているので、その後間もなく移転完了したとして、不思議はないですね。
その時は移転で精いっぱいで、半年以上たってから、運用の移管をしたのでしょうか?
それと、県交通成立後の新車は、岩手中央バス仕様と岩手県南バス仕様にはっきり分かれていましたが、やはり県南バス仕様は県南バスエリアの営業所にしか配置されなかったんですね。
花巻バスは、出資割合も小さかったので、新車もあてがわれなかったのでしょうか・・・。

ところで、花巻空港バスの件ですが、とまります様の資料で、1982年11月に空港連絡バスがないということが引っかかっています。
岩手中央バス時代から、BA20の前ドア車(岩22か544)が使われていたという記録がありますが、1983年のジェット化の際にTDAバスに変わったとして、その間に、もしかして空白期があったのではないか、と思ったわけです。
1982年に東北新幹線が開業し、羽田便の利用が落ち込んだりしていますよね?
飽くまでも想像ですが、その辺をだれかご存じないかな、と思ったのです。

Re:更新後記(2018.11.25)

#1825名前:とまります時刻:2018-12-20 20:13:00返信報告:報告

こんばんは。
>盛岡-空港間の連絡バス
交通公社の時刻表82年11月号の盛岡-花巻空港間の路線バス時刻表ですが、
以前UPした花巻管内時刻表で花巻盛岡線の発車時刻と比べてみると微妙に合わないんです。
花巻管内時刻表によると
盛岡バスセンター発10:00、10:45、12:15、13:15、(15:00)、16:30、17:15、18:00
空港発7:03、7:33、8:03、11:28、13:13、14:13、15:28、(17:13)
()は休日運休。所要時間は平日・休日関係なくどの便も1時間2分。
(84年9月の花巻管内時刻表でも花巻盛岡線のダイヤはほとんど変わっていません)
また、盛岡-空港間所要時間が最大で1時間45分とありますが、国道4号経由でも余程の渋滞がない限りちょっと考えられないです。
『時刻表』の時刻表、一体どこの路線なのか、正直分かりません。
空港連絡バスで休日運休というのも考え難いですし、夏に高速道経由で運行されていた連絡バスが秋には運行を
取りやめたというのも少々考え難いと思われます。

時刻表82年11月号は上越新幹線開業全国ダイヤ大改正号で、編集部が混乱していたのではと
考えたりもするのですが、それにしても謎です。
石鳥谷線のダイヤはほぼ合っているんですけどね・・・
(北上駅発18:20は石鳥谷行き、19:00は花巻営業所止まり)

時刻表82年11月号の航空便ダイヤをUPしてみました。

Re:更新後記(2018.11.25)

#1826名前:オペレッタ601号時刻:2018-12-21 19:52:25返信報告:報告

> それと、県交通成立後の新車は、岩手中央バス仕様と岩手県南バス仕様にはっきり分かれていましたが、やはり県南バス仕様は県南バスエリアの営業所にしか配置されなかったんですね。
> 花巻バスは、出資割合も小さかったので、新車もあてがわれなかったのでしょうか・・・。

記憶も辿ってみましたが、花巻営業所で最初に配置された新車は日野RE100「岩22か888」で、水沢・北上の車輌と同じ県南仕様です。他には889~891が該当しそうですが、こちらは当初見た記憶が無いので東和だったかもしれません。
岩手県交通発足後も花巻営業所では青銀カラーは少なめで、通学時に自分が乗車した記憶は神奈中からのMR410「岩22か850・864」の2台のみでしたが、花巻バス時代に昭和48年の新車RE100、翌年の神奈中からのMR490・RB10合わせて30台近くのワンマンカーを導入していた影響かもわかりません。

謎だったのが、前述の岩22か888と昭和48年式のRE100など「新しめ」の車輌は石鳥谷線には入らず専ら笹間方面の路線に入っておりバス通学時には石鳥谷線で乗車出来た記憶が一回もないので、笹間の車庫?常駐だったのかなとも思いましたが、飯豊の花巻バス本社の写真にはしっかりとRE100「岩22か415」が写っていますし…

今回は中央バスカラーが見られた最南端の北上車庫で撮影したBA20の写真をつけてみます。

Re:更新後記(2018.11.25)

#1827名前:管理人時刻:2018-12-23 20:26:46返信報告:報告

とまります様
盛岡-花巻空港間で最大1時間45分というのは、確かにおかしいですね。
1982年11月は、編集部も混乱したかもしれませんが、事業者側はそれ以上に大変だったでしょうね。
1982年6月に東北新幹線が開業し、11月に上越新幹線の開業と同時に東北新幹線も本格的に本数を増やすダイヤ改正を行っています。
東北地方のバス事業者は、新幹線への接続という大規模なダイヤ改正を、短期間の間に2回行う必要がありました。
市販の時刻表の締め切りまでに、ダイヤの詳細が決まっていないということもあり得たと思います。
11月号の時刻表の発行は10月で、その原稿締め切りは9月ですから。

オペレッタ601号様
確かに岩22か889~891は、東和営業所に配置されているのを見た記憶があります。そのうちの890は、東和営業所のダイヤ改正に伴い、盛岡に移ってきたわけですが。
一応花巻バスエリアにも新車はいたわけですね。
新しい車両が笹間方面に限定使用されていたのは、補助金の関係とかもあるのかも知れませんね。

更新後記(2018.12.9)

#1820名前:管理人時刻:2018-12-09 18:52:14返信報告:報告

しばらく前から表紙写真などで触れてきましたが、大迫営業所がなくなるというので、訪問した時の写真を今回アップしました。
地方の宿場町に行くと、よく見かけることがあった、発着所や待合所をもつ正しいバス営業所の雰囲気を今まで残していました。
いつの間にか営業所ではなく、営業所の下部組織であるバスターミナルという呼び名になっていたようですが、その姿ともお別れだそうです。
大迫営業所については、本文を見て頂くとして、岩手フリーク以外の方には、今回、レアなボディメーカーの話題を、北海道の廃車体から触れてみました。
東新自工とか東浦自工とか、聞いたことがあるようでないような廃車体が現存するというので、北海道に行くついでに寄ってきました。
北海道というと、廃車体が相当数あるようですが、この2体を1日で見るには、日が短いこの季節、寄り道をしている時間がほとんどありませんでした。それでも、数より質という感じで、この2両を見ただけで、おなか一杯になりました。
東新自工も東浦自工も大阪の会社ですが、なぜ北海道に存在するのかについては、答えは導き出せていません。

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