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80s岩手県のバス“その頃”掲示板

古いバスのこと、昔のバスの想い出、岩手県のこと、新幹線の看板などの掲示板です
→新しい話題を投稿する

あのボンネットバスが再登場します

#1961名前:管理人時刻:2019-08-28 19:47:29返信報告:報告

以前、宮城県の峩々温泉で使われていたボンネットバスの行方が分からなくなってだいぶ経ちますが、とうとう、姿を現すときがやってきたようです。
実はこのバス、幣サイトの「奇跡の復活」の主役でもある海和さんが引き取り、地元の整備工場で復元工事を進めていたそうです。
写真のように、栗原電鉄のかつてのカラーに塗られ、ナンバープレートも付きました。
来たる9月15日(日)に宮城県栗原市で開催される「みんなでしあわせになるまつり」でお披露目、デビューだそうです。
写真は、大崎タイムスが取材に来た時のもの。
元仙台市営バスだというこのボンネットバス、生涯を宮城県で過ごすことが出来る幸運なバスかも知れません。
(画像提供:海和さん)

Re:あのボンネットバスが再登場します

#1964名前:管理人時刻:2019-09-04 22:29:51返信報告:報告

みんなでしあわせになるまつりの当日は、多分、このバスに乗車できるのではないかと思います。
その辺は、海和さんご本人の正確なフォローを期待します。
一応、私から海和さんには、日が傾く前に、「撮影タイム」をしてくださいませと、お願いをしてあります。

Re:あのボンネットバスが再登場します

#1966名前:管理人時刻:2019-09-10 23:09:54返信報告:報告

こんばんは。
海和さんからの、直前かつ最終のご連絡がありました。
今回の「みんなでしあわせになるまつり」に出場するボンネットバスは、ここでお知らせしている栗原電鉄カラーのTSD40と、まつりではおなじみのU690の2両になるようです。
TSD40の撮影タイムは、11:30~12:00頃を予定しているとのこと。外形を綺麗に撮りたい方は、この時間のあたりになったら、バスのりば周辺においでください。

なお、公式サイトはこちらです。
http://www.kurikoma.miyagi-fsci.or.jp/minshia/

更新後記(2019.9.5)

#1965名前:管理人時刻:2019-09-05 22:25:14返信報告:報告

段々と暑さが引いてきましたので、通常更新に戻ります。
納涼特別企画は、次回の更新までは残しますが、それ以降は消えます。
さて、今回は、まだ新しい「バスカタログ聖地巡礼」のコーナーの追加です。
横浜市の野庭(のば)団地に行ってまいりました。
丘陵地帯を切り開いて、1970年代に開発した住宅団地で、10階建てくらいのカラフルな団地が、建ち並びます。
1棟当たりの規模も大きいですが、その棟数も多く、かなり大きな団地です。バス路線が豊富なこととも合わせて、ベッドタウンとしては、利便の高い場所だと思います。
周辺各駅に向かう路線バスのバス停は、頻繁に来るバスを待つ人が常にいて、住民の数も相当あるのだろうということが想像できました。
そういう場所を、真夏の炎天下の平日に訪問したのですが、団地の中の広場には、やはりお年寄りの数が目立ちました。
1970年代に建てられたニュータウンに見られる現象が、ここも例外ではないのだろうと思えました。

更新後記(2019.8.4)

#1940名前:管理人時刻:2019-08-04 00:14:45返信報告:報告

梅雨も明けたと思ったら、日本列島を猛暑が襲いかかっているので、今年も期間限定の納涼特別企画をお送りします。
題名のネタ元はテレビ東京の人気番組ですが、よく考えると、テレビ東京の系列局がない地方では、ゴールデンタイムには放映されず、土休日の日中とかにやっていたりします。
私の居住地も、ご多分に漏れずその口で、半年くらい前のを平気な顔をして放映しています。
この番組には、女性のアシスタントがいるのですが、なぜか画面にちゃんと映らないようにしているのが気になります。
この番組に限らず、最近のバラエティ番組はみんなそうです。
商品を運んできたりする役目を担っている、綺麗な女性がいるのですが、チラッと写ればいいほうです。
わざわざ綺麗な女性を使って、またコンパニオンのような制服を着せているのは、テレビで見せるためではないのか・・・と思うのですが、商品化することにクレームが来るんでしょう。
通行人のモザイク処理とか、分別のありすぎるコメンテーターのセリフとか、言語狩りとか、最近のテレビはどんどんとつまらなくなってきています。

最後に、ここで添付した写真の説明です。
“その頃”に、岩手県交通が国際興業から譲受したBU04の車内でみつけた広告です。
埼玉県の広告だったので、当時は譲受前から付いていたものだと思い込んでいたのですが、今になると、自信がありません。
奥にぶら下がっている広告は岩手県のものなので、普通は気づくだろうと。埼玉県の紹介所が岩手県に広告を出すこともあるだろうと。

Re:更新後記(2019.8.4)

#1941名前:53時刻:2019-08-04 16:42:36返信報告:報告

こんにちは
今年の納涼特別企画、良いですね。
滝沢営業所所属の元北海道中央バス、親戚が青山町に住んでいたので何回か乗りました。テールランプに特徴があったのでよく覚えています。

他に滝沢車で運転席のすぐ後ろの座席2列ぐらいのシートが2人掛けだったBUがあったのを思い出したのですけど、どのBUだったのかが分からないです。 わたくしの勘違いだったかな?
でもシートの色が違っていて、変だなと思ったような?

1985年8月撮影 赤色が見えます

Re:更新後記(2019.8.4)

#1942名前:管理人時刻:2019-08-04 22:36:42返信報告:報告

53さん、こんばんは。
> 他に滝沢車で運転席のすぐ後ろの座席2列ぐらいのシートが2人掛けだったBUがあった
確か、元国際興業のBU06とBU04(1973年式)が、その配置だったような記憶があります。
前の2列だけが前向きで、残りがロングシート。青色のモケットでした。
あと、元西武バスのBU04は、中ドアから前が1人掛けの前向きで、後ろがロングシート。やはり青色のモケットだったと記憶しています。
元日立電鉄のBU10は、ロングシートでしたよね。
当時、毎日のように乗車していたのに、車内の写真は撮っていません。今になると、心残りです。

Re:更新後記(2019.8.4)

#1943名前:53時刻:2019-08-05 11:27:28返信報告:報告

管理人様こんにちは
詳しいご説明ありがとうございました。

昨日掲示板に投稿した後、昔の自分の撮った写真を見返してみると前2列2人掛け車内写真ありました。
自分で話題振っといて、実は自分で撮っているとは・・すいません

バスの外観の写真は、なんとなく何を撮ったのか覚えているのですけど車内の写真は覚えてなかったですね。

盛岡駅から矢巾営業所に向かう途中で撮影 1984年8月

Re:更新後記(2019.8.4)

#1944名前:53時刻:2019-08-05 11:46:55返信報告:報告

自分が中学生の頃、何気に夏の帰省で撮った写真を学校に持っていき、当時神奈中マニアの友達2人に見せたら大変驚いていました。
「これってドアが後ろに開き、雨どい赤いし窓の配置がどうのこうの 神奈中に似てるなー 」
などブツブツ言いながら、まさしく とんでも鑑定団を始めました。
友達も神奈中中古が岩手で活躍しているなんて知らなかったと思います。当時のわたくしには何を言ってるのか何がすごいのかさっぱり分かなかったです。

1981年8月

Re:更新後記(2019.8.4)

#1946名前:管理人時刻:2019-08-05 20:23:26返信報告:報告

まさに、この車内が元国際興業ですね。BU06だと思います。
1973年式のBU04も同じ座席でした。
1974年式からは前向き座席になりました。
一番前だけが前向きという座席配置は少なくないのですが、2脚だけ前向きというのは特徴的でした。

神奈川中央交通のBU10Dは、後編で触れますので、期待しないでお待ちください。

Re:更新後記(2019.8.4)

#1951名前:梨野舞納時刻:2019-08-09 15:34:43返信報告:報告

飽くまでも昔に聞いた話ですが、国際興業が北海道いすゞ自動車の大株主である関係で、国際興業の車輌は地元販社ではなく北海道いすゞから納入されている、と聞いた事が有ります。
恐らくはその関係で、北海道いすゞが仲立ちをして国際興業グループの岩手県交通・十和田観光電鉄に北海道中央バスの中古車が入ったのでしょう。

Re:更新後記(2019.8.4)

#1952名前:管理人時刻:2019-08-09 19:08:43返信報告:報告

梨野舞納さん、こんばんは。
北海道いすゞが国際興業グループであるのは、梨野舞納さんのおっしゃる通りです。
今回、ちょっと複雑な事情として、岩手県交通は1986年まで国際興業グループではなかったという点があります。
記事中では端折ってしまいましたが、県南バスの社長の持ち株の売却先が北海道いすゞだというのは、飽くまでも想像です。
1978年頃に元県南バス社長が手放した株式が70%であったとの報道と、1986年に岩手県交通が国際興業グループになった時点での北海道いすゞの持ち株比率が70%であったとの報道から、そう推察しています。
ではなぜ、県南バス社長が北海道いすゞに株式を売却した時点で国際興業グループにならなかったのか。
それは、経営者に対する不信から、1977年に国際興業は岩手県交通の経営から手を引いており、1年かそこらで手の平を返すわけにはいかなかったでしょうし、経営に参画するメリットもなかったのだと想像します。
そういう関係だったので、北海道いすゞを通じて資本関係はあったにもかかわらず、車両の譲渡などをするような間柄ではなかったのだ、という想像です。

Re:更新後記(2019.8.4)

#1955名前:とまります時刻:2019-08-19 21:02:07返信報告:報告

納涼特別企画に便乗しまして・・・

お盆休み中、市内某所で「花巻電鉄西鉛線廃線50周年記念写真展」なるイベントが行われていて、行ってみました。
https://www.iwate-np.co.jp/article/2019/8/11/62175
展示されていた資料の中に花巻市博物館編集の市制50周年記念誌『花巻のあゆみ』というものがあり、
眺めていたら、花巻バスの路線図がありました。停留所名から1968年前後のものと思われます。
(その場にコピー機が無くて写真を撮ったのですが、元の路線図自体が若干不鮮明なものでした)

その1:花巻バス路線図
石鳥谷から志和を経由して志和稲荷神社への路線があったようですね。
また、花巻温泉-八日市-石鳥谷の路線が無いのですが、この後に開設されたものなのか、
あるいは電鉄バスの運行だったのか、分かりません。

Re:更新後記(2019.8.4)

#1956名前:とまります時刻:2019-08-19 21:24:23返信報告:報告

その2:市内線
2路線あったようで、路線図と1968年の空中写真を照らし合わせて今の地図に載せてみました。
(オレンジ:中央線、青:環状線)
環状線の「農業高校前」は旧花巻農業高校です(高校の跡地が花巻市文化会館・花巻市図書館)。
環状線の藤沢町バス停~双葉町バス停間の経路が不明なのですが、藤沢町から電鉄西花巻駅・花巻バスセンターを
経由して双葉町へ向かっていたのではと推定しています。
以前、台温泉への路線があったのでは?と書きましたが、花巻温泉どころか松園町への路線も無かったのですね。

電鉄バスについて何か資料はないかと思って行ってみたのですが、残念ながらバスのほうは資料無しでした。
電鉄の写真展で花巻バスの情報を得るのも妙な話ではあります。

Re:更新後記(2019.8.4)

#1957名前:管理人時刻:2019-08-23 22:13:41返信報告:報告

とまりますさん、こんばんは。
1968年前後のものというのは、どの辺で分かるんですか?

気になるのは、本社前バス停はあるけど、花巻バスセンターがない点ですね。
市内線は、バスセンターは関係なく走っていたんでしょうか。
あと、環状線は、元の路線図と、とまりますさんの描画とでは、本社前付近の経路が違いますよね。藤沢町から双葉町までほぼまっすぐ進んでいますが、そういう道はあったんでしょうか。

Re:更新後記(2019.8.4)

#1958名前:とまります時刻:2019-08-24 16:25:25返信報告:報告

>1968年前後のものというのは、どの辺で分かるんですか?
花巻農業高校は70年代前半に現在の場所へ移転したのでそれ以前、加えて、環状線の「幸橋(さいわいばし)」から「専売公社前」間が
実際に踏切を挟んで一直線の道路で結ばれていたところ、69年に踏切の南側に跨線橋ができたので跨線橋ができる前のものと判断しました。
もっとも、よくよく全体の路線図を見ると電鉄の西鉛線が描かれているので、西鉛線廃止以前のものと気付きました。
あるいはそれ以前の路線図なのかもしれませんが・・・

>藤>藤沢町から双葉町までほぼまっすぐ進んでいますが
今も昔も道路は一直線なのですが、環状線の藤沢町バス停がどこなのかで引っかかっています。
現在の太田線・栃内線と同じ場所ならばまさに路線図通りなのですが、そうなると農業高校前から藤沢町間が
どういうルートを辿っていたのかが疑問です-大型バスが通れる道路が見つからない。
農業高校前-中根子-石神-藤沢町という遠回りルートだと、中根子-石神-藤沢町間で電鉄西鉛線と競合していたことになります。
あるいは、現在の湯口線若葉町バス停が当時の藤沢町バス停だったのかもしれませんが(若葉町は1960年代後半に発足した行政区
だったと思います)、これだと電鉄の西花巻駅から南に下って鍛冶町を経由して(画像の白線部分)双葉町に向かっていけば
ほぼまっすぐに進めます。
(16年前までの天下田団地線材木町-鍛冶町間はこのルートをたどっていました)
路線図で「本社前」を経由していない点で、UPした画像(1968年9月撮影の空中写真)の白線部分を経由していたのが正しいように
思われるのですが、何ともわかりません。

「本社前」バス停の件ですが、この頃は桜木町に営業所がある時代だったのかもしれません。
空中写真の中央下に営業所らしき施設が見えます。

Re:更新後記(2019.8.4)

#1959名前:時刻:2019-08-26 23:07:03返信報告:報告

こんにちは。
53様の車内の写真、素晴らしいですね、よく撮っておいていただけたものだと思います。管理人様がこの写真から元国際興業のBU06だと推定されておられますが、どの部分がBU06であるポイントなのでしょうか。私も国際興業の初期BU04はまだロングシートがあったように記憶しているのですが、どんな配置だったか覚えていないんですよね。BU06よりもロングシート部分が減ってたような、そうでもないような・・。
それにしても、今のジャングルジム状態のバスに比べてすっきりしていていいですねぇ~

Re:更新後記(2019.8.4)

#1960名前:管理人時刻:2019-08-28 18:58:24返信報告:報告

獣さん、こんばんは。
車内写真がBU06であると考えたポイントとしては、右端の窓柱の位置です。右側面の6つ目の窓の後ろの窓柱が、車内を下に辿ると後輪のタイヤハウスの前側に位置します。
BU04ですと、窓幅が広いので、6つ目の窓柱は、タイヤハウスの中央に位置します。
上の方でも書いたように、BU06(1972年)と初年度のBU04(1973年)は、この同じ座席配置だったと記憶しています。
最前部の2列が前向き2人掛けというのは、ちょっと変わった配置です。
次年度のBU04(1974年)からは、すべて前向き座席になりました。
この当時のバス車内につかみ棒が少ないのは、物理的に付けられなかっただけでなく、まだ車内事故防止が今ほど問題視されていなかったのだと思います。
そもそも、高齢化も今ほど進んでいませんでしたので、立ち客も、吊皮を掴んでいれば大丈夫ということだったのかも知れません。

Re:更新後記(2019.8.4)

#1962名前:時刻:2019-08-28 23:08:38返信報告:報告

管理人様、お返事ありがとうございます。
なるほど、確かに貴サイトの元国際興業BU06とBU04の窓位置を確認してみると、そのようですね。こんなところから判別されるなんて驚きです。

私としては、前方行き先表示器の覗き窓が正方形で、国際興業のBU04は確か少し横長だったように思うのでそこかなぁと思ったのですが、全てのBU04がそうだとは言い切れないので自信がありませんでした。

座っている人がいなければ、床が前方までつながっているかどうかで簡単に判断できたのですけどねぇ。あと、国際興業では昭和58年あたりに料金箱が新型に入れ替えられたのですが、その際に料金箱をガードする金属棒が設置されて、新しめの車両とそうでない車両で、ちょっと形状が違っていたのを覚えています。あれは何だったのでしょう・・

つかみ棒が増え始めたのは、国際興業ではCJMからでしょうか。座席配置もガラリと変わり、当時は新鮮に感じたものです。

Re:更新後記(2019.8.4)

#1963名前:とまります時刻:2019-09-01 20:43:50返信報告:報告

既出かもしれませんが・・・

ツイッターを眺めていたら、たまたま見つけました。
のりあいアーカイブス
https://twitter.com/omnibus_archive
すでにこのようなものが出版されていました。
『宮城県のバス時刻表ライブラリー : 昭和時代の古時刻表などバス資料を収録』
のりあいアーカイブス 編
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I026786824-00
宮城のほかに山形県・福島県についても出版されているようで、岩手編が出たらぜひ欲しいなと。
(1冊3000~5000円ほど)

台風が心配です

#1927名前:管理人時刻:2019-07-17 20:31:17返信報告:報告

ネットニュースから。
だいーぶ前に、掲示板で話題になったことがある台風情報が、今日、リアルで見られましたので、思わずスクリーンショット。
北上市のみなさん、ご心配なさらずに。
そうは言うものの、雨雲の範囲はかなり広いようなので、日本列島各地での影響は心配です。

Re:台風が心配です

#1934名前:とまります時刻:2019-07-24 19:41:59返信報告:報告

「台風8号は・・・日本海を北上中。」
台風の季節になると「北上中(北上中学校)」は有名になって羨ましいと、
ヘンなことを思う花巻中(花巻中学校)の卒業生なのであります。

中央バス花巻営業所は花巻中から歩いて10分のところにあったのですが、
70年代初め頃まで中央バス営業所~花巻中学校を取り囲むように花巻バスの環状線があったとのことです。
(始発は花巻バスセンターか?)

Re:台風が心配です

#1936名前:管理人時刻:2019-07-29 19:38:12返信報告:報告

この土日も台風が北上中になるかと思いましたが、北北東に進んだ後、温帯低気圧になりました。
北上中のほかに、北上北中という中学校もあるんですね。字面だけ見ると、何を意味しているのかよく分からなくなります。
金田一中も、「金田二中」とか「金田三中」とかがあるんじゃないかと思われる名前ですね。

ちなみに、昔のとまりますさんのご指摘からすると、花巻には本館があるから、全国各地の別館の中にある看板に書いてある有名な場所だと思います。
そんな「本館に集合」とかいう画像がないかと思いましたが、見つかりませんでした。

Re:台風が心配です

#1945名前:管理人時刻:2019-08-05 20:19:50返信報告:報告

しつこくこのネタ続けます。
台風9号も北上です。
この後、「台風9号は北上へ」というのもやっていましたが、画面キャプチャはできませんでした。

Re:台風が心配です

#1949名前:オペレッタ601号時刻:2019-08-07 07:07:43返信報告:報告

偶々この画面に遭遇したので、すかさず手持ちのスマホで撮影しました(^_^;)。
私は「北上中」の卒業生ですが、台風の季節のみならず「学校の名前」はニュースやCMでもよく出てきますね。「桜前線…」「花粉前線…」とか。
しかしながらキーボードで「ほくじょうちゅう」と入力すると即変換出来るのに「きたかみちゅう」では一発で出てこなかったりするのも、ちょっぴり悔しかったりします(^_^;)。

因みに北上市内には「北上中学校(ほくちゅう)」「北上北中学校(きたきた)」のほかに「南」もありまして、こちらの学校名には「北上」は付かず単に「南中学校(なんちゅう)」、他に「東」「西」が付いた中学校もありますが、相当ややこしくなるので…このへんにしておきます(^_^;)。

http://ihatovbus.mints.ne.jp/index.html

Re:台風が心配です

#1950名前:管理人時刻:2019-08-08 19:12:20返信報告:報告

オペレッタ601号さんは北上中の出身者だったんですね。
まあ台風よりも桜前線の方が気分的にはいいかも知れません。

南の海上では次々と台風が発生していますので、また色々なニュース画面が見られると思います。
「台風が北上」「台風が北上中」「台風が北上へ」は見られましたが、その他の想像を超えたバリエーションが登場しないか、気を付けて見るようにします。

Re:台風が心配です

#1953名前:ねるねる時刻:2019-08-11 19:02:14返信報告:報告

かの島も台風影響出たようですが、晴天ですと却って東京などの都会よりは気温低く感じます。

ところで去年公開されましたアニメ作品ですが、現行塗装と旧空港ランプバスの合いの子塗装な感じですね。
もっとも東運輸はEDクレジット出ていないので、この塗装用いるのもグレーな気がします。

Re:台風が心配です

#1954名前:管理人時刻:2019-08-11 20:34:52返信報告:報告

石垣島の東運輸ですね。
許諾がないので、本来Azumaと書くところをAirportにしたのかも知れませんね。
ところでねるねるさん。画面を出してしまうのなら、島の名前や作品の名前を伏せる意味はありませんね。むしろ、引用の意味で画面を出すのなら、出典をしっかり書くほうがいいかと思います。

盲点(あな)

#1947名前:管理人時刻:2019-08-06 22:10:15返信報告:報告

BS、CS放送になりますが、日本映画専門チャンネルで、8月9日(金)のAM7:00~に、1984年に制作された「盲点(あな)」が放送されます。
これは、岩手県を舞台にした2時間ドラマで、東北新幹線が開通して間もない盛岡市や仙台市がロケ地となっています。
河川敷の土地売買にかかる汚職に対して、主人公の緒形拳演じる検事が挑むという話です。
舞台は、岩手県の架空の都市である「北巻(きたのまき)市」で、その名前から分かる通り、花巻市か北上市あたりがモデルになっているのだと思います。
もっともロケ地はほとんど盛岡市で、主人公の勤める地検北巻支部は内丸にある岩手県公会堂の建物ですし、その娘が通う幼稚園は下の橋のたもとにあるようです。
更に中津川下流の御厩橋は、盛岡駅からゆっくりと出発する新幹線が望める場所で、何度か出てきます。
2時間ドラマというと、1990年代以降ワンパターンでネガティブな印象を持たれていますが、当時はしっかりと作られた良質なドラマでした。
このドラマも、1984年当時、私自身が岩手県生活に入る直前に見ており、強く印象に残っています。
私にとって、これから自分が過ごす岩手県の原風景になった雪深い光景が、そこには広がっています。
興味のある方は、是非ご覧ください。

社線の新幹線

#1937名前:ねるねる時刻:2019-07-31 21:18:00返信報告:報告

伊豆箱根駿豆線三島駅からJR線のりばへの改札上に掲げられている看板です。
100系の鼻を消したようにも見えますが、いかがでしょう?

撮影は今年の2月ですので、まだ健在なはず。
JR海の211系も置き換えの話出ていますが、この看板もいつまで使われるでしょうか。

Re:社線の新幹線

#1938名前:管理人時刻:2019-08-01 21:09:10返信報告:報告

ねるねる様、ありがとうございます。
実は、この看板、2012年に撮ってました。
http://www5e.biglobe.ne.jp/~iwate/alacarte/shinkansen/station/index.html#08
その時は、100系の鼻はありました。今では消えちゃったんですかね。
ここで添付した画像も、ページに掲載済みですが、手前にあった伊豆箱根鉄道作成と思われる0系です。
こっちも今残っているでしょうか。
ねるねる様撮影の看板よりも、伊豆箱根ホームに近い所にあったと思います。
私鉄のホームにはまだ変な新幹線が残っているかもしれませんね。

ReRe:社線の新幹線

#1939名前:ねるねる時刻:2019-08-01 22:29:00返信報告:報告

> その時は、100系の鼻はありました。今では消えちゃったんですかね。
かつては鼻の存在と共に、スカートを青色塗っていたのかもしれませんね。
それを300系以降の顔に合わせて多少のムリに目を瞑ってリフォームされたと見るべきでしょうかw

更新後記(2019.7.1)

#1923名前:管理人時刻:2019-07-01 20:44:39返信報告:報告

「バスカタログ聖地巡礼」というコーナーを始めました。
ちょうど昨夜、テレビで「君の名は」を放映していましたが、この映画の聖地巡礼をしている人は多いと聞きます。
確かに、ついつい「この場所知ってる」とか「行ったことある」とか言いたくなってしまう場面がたくさんあります。
人物なしの風景では、あまりにもリアルな画なので、これなら写真使っちゃったほうが楽なんじゃないかなどと思ったりもしてしまいました。
WEBが普及して、こういうネタの情報が簡単に手に入ることも、聖地巡礼を試みる人が増加した原因かとも思います。

多分、昔も同じことをしたり、考えたりしている人はたくさんいました。
七曲署は用賀にあるとか、その屋上は西新宿にあるとか、小田急線の多摩川鉄橋の脇の河川敷きではいろんな事件が発生したとか。

さらにさかのぼると、小学校の社会科の教科書の航空写真から目を皿のようにして自分の家を探そうとしてみたり。

多分、聖地を探そうとするのは、人間が文化生活を送る上での欠かすことの出来ない習性なのでしょう。
なので、バスのカタログ写真の中から聖地を探して、そこを目指して旅をするという企画があったとしても、何の不思議もないのです。
むしろ、今までそういう企画がどうして生まれなかったのか、とさえ思うわけです。

ちなみに時系列的には、12月の「信州廃バス見聞録」で私が佐久平駅から北陸新幹線に乗って行ってしまった後、YSさんとポンコツ屋赤木さんがいすゞDBRの廃車体写真を撮るところから、物語は始まりました。

Re:更新後記(2019.7.1)

#1929名前:He526時刻:2019-07-17 22:28:31返信報告:報告

だいぶ出遅れましたが、バスカタログ聖地巡礼拝見しております。

私も幼少期は近所の農協から車のカタログをもらっては (田舎なのでディーラーというものが無かった) 穴が開いてバラバラになるまで読み込んでいた人間ですので、このような企画はとても面白く、自分の手でも聖地を探したくなってきております。

といっても、興味の対象がバスまで広がったのはカタログ収集から引退しただいぶ後なので、バスのカタログは1冊しか持っておらず、まずは収集からですかね笑
唯一持っているのはUDの5R/6R系の観光タイプのものですが、藤田観光そのままの車両が載ってました。

さて、1982年のブルーリボンのカタログですが、なぜか非常に既視感がありまして、私の画像フォルダをひっくり返したところ、佐賀市営のカラーなんですね。
島鉄バスも確かブルーリボンのカタログカラーでしたし、九州はカタログカラーの採用が多いですね。

ただの感想になってしまいましたが、引き続き楽しみにしております!

Re:更新後記(2019.7.1)

#1930名前:管理人時刻:2019-07-18 21:03:33返信報告:報告

He526さん、こんばんは。

確かにこのカラーは佐賀市交通局のカラーと同じですね。
1980年代の日野ブルーリボンのカタログカラーは、島原鉄道のほかにも、南九州高速バスや那覇バスなどにも見られます。
その辺のことは、バスのカラーリングというコーナーで取り上げています。
http://www5e.biglobe.ne.jp/~iwate/vehicle/extra/coloring/c5-2.html
さっそく、今回のカタログと佐賀市交通局の件も加えたいと思います。
今回投稿いただいた画像を使用させていただければと思います。

Re:更新後記(2019.7.1)

#1931名前:He526時刻:2019-07-19 10:25:41返信報告:報告

管理人様こんにちは。

バスのカラーリングコーナーも拝見させて頂きました!
島鉄を撮影したのは確か2016年年始の長崎空港で、よく似合う色だと思ったものです。

当時の長崎空港ではR3を使用した西肥バスのリムジンが名物という話で、楽しみにしていたら、タッチの差で全滅していたことを現地で知る悲しい結果だったのですが、添付したブルーリボンが癒してくれたのが良い思い出です。

佐賀市交通局のレインボーの画像はどうぞご使用ください。
ピントが甘くてすみません。
2018年1月7日に佐賀駅前で撮影しております。
型式は確かU-RR3HJAA、平成4年式です。

Re:更新後記(2019.7.1)

#1932名前:管理人時刻:2019-07-21 23:36:30返信報告:報告

He526さん、ありがとうございます。
カラーリングのコーナーへの追加は、通常の更新とは別に、準備が整い次第やろうと思います。
佐賀市交通局は、このカラーになる前の旧カラーも、日野ブルーリボン(初代)のカタログカラーをベースにしているようです。
復刻カラーも登場しているようですが。

島鉄のリムジンバスは、昨年訪問した時は、すべてラッピングになっていました。
このカタログカラーに変えたときは、旧来の3本ラインの塗装より新しいと思って変えたんだと思いますが、路線バスの3本ラインが復活した今になってみると、3本ラインの方が新しく見えるのも不思議です。

Re:更新後記(2019.7.1)

#1933名前:He526時刻:2019-07-23 22:30:38返信報告:報告

管理人様、こんばんは。

どうぞ、都合の良いタイミングで使ってください。

佐賀市営の復刻カラーのJPにもRRと同じ日に出会ってました。
不意打ちだったようで、何故かスマホで撮影してあります。
撮影時は派手なカラーだとしか思いませんでしたが、よく見るとこれもブルーリボンカラーをベースにしていることが分かります。

この車はUDのバスマークまで復刻しているのが素晴らしいと思います。
現行KR290にウイングマークを付けた車を見たときはなかなか不思議な気持ちになりましたが、この西工にUDマークは馴染んでるような気がします。

Re:更新後記(2019.7.1)

#1935名前:管理人時刻:2019-07-26 22:46:27返信報告:報告

He526さん、こんばんは。

佐賀市交通局の画像、アップしました。
http://www5e.biglobe.ne.jp/~iwate/vehicle/extra/coloring/c5-2.html#2-08
上の方の初代ブルーリボンカラーのところには、復刻カラーの画像も使わせていただきましたので、ご確認ください。

最近、メーカーのエンブレムをつけない会社がほとんどなので、新しい車種に、エンブレムは似合わないような気がしますね。
でも、初期のセレガにウィングマークがついていたのを今見ると、意外に似合っているようにも思います。
今のエルガ(というかブルーリボンⅡ)にウィングマークがついていても、それはそれで見慣れてしまえば納得するかも知れません。

日野ブルーリボン(1982年)の聖地

#1926名前:草ヒロ探検隊時刻:2019-07-17 14:49:45返信報告:報告

こんにちは。

7月16日更新のバスカタログの聖地巡礼を拝見いたしました。
ページ内最後にある場所不詳という橋の上でのワンショットですが、雰囲気が似ているとストリートビューで調べてみたところ、山梨県の河口湖大橋ではないでしょうか?
橋北側から進行してくるブルーリボンを撮影しているように見えます。
背後の山には送電線鉄塔もある様子で、写真右側の森は産屋ヶ崎のあたりではないかと思います。
道路周辺見ると、歩道と車道の配置、照明灯の配置に写真と共通する部分が見られます。

いかがでしょうか?

Re:日野ブルーリボン(1982年)の聖地

#1928名前:管理人時刻:2019-07-17 20:38:07返信報告:報告

草ヒロ探検隊さん、ありがとうございます。

ストリートビューで確認してみました。
確かに河口湖大橋ですね。
中央道で西へ、までは合っていましたが、富士五湖まで遠出しているとは思わず、相模湖と津久井湖あたりをウロウロし(ストリートビューでですが)、該当する橋がないので、「じゃあ、川の橋かな」と思っていました。

富士山麓はこれからしばらくは激込みになるので、近づけそうもありません。
でも、日野ユーザーのお膝元なので、後輩にあたるセレガの2台連行とかが聖地を走ってくる可能性は十分あります。

無題

#1924名前:映像制作時刻:2019-07-05 19:25:50返信報告:報告

映像の制作(映画、CM、PV)で働いてる者です。
某ミュージシャンの撮影依頼で子供が廃車バスに忍びこんで秘密基地を作る動画をとりたいのですが関東圏内で自然に紛れている廃車バスございますか!?

中での撮影もできると幸いです。撮影使用料も勿論ございます。ちょっとした情報でも構いません。写真(数枚)や場所等も頂けると助かります。情報あれば宜しくお願いします。

Re:無題

#1925名前:管理人時刻:2019-07-06 10:42:48返信報告:報告

書き込みありがとうございます。
廃車体については、写真を載せたりしているにもかかわらず、こういう物言いで申し訳ありませんが、所在地などを明確に記載することは避けております。
破壊や盗難など、色々な二次的影響が想定されるからです。
もし、よろしければ、下記ページの一番下の「7.連絡先」のところに、アドレスが書いてありますので、メールで一旦お問合せ下さい。
http://www5e.biglobe.ne.jp/~iwate/comment/index.html
もっとも、自然に紛れている廃車体で、かつ所有者が明確な物というのは、そうは存在しませんので、お役に立てるかどうかは分かりません。

更新後記(2019.6.15)

#1922名前:管理人時刻:2019-06-20 19:45:19返信報告:報告

更新してから5日ほどたってしまいましたが、更新後記です。
GWのある日に、ポンコツ屋赤木さん、He526さん、畦道ノスタルヂイさんとともに訪問した諏訪バスの廃車体をアップしました。
いずれも新発見の個体ですし、それなりに存在感のある車両なのですが、中でもいすゞCLM470は、諏訪バスでも少数派の存在でした。
廃車体の塗り分けが、登場時と変わらない曲線塗り分けなので、塗り替えられることなく廃車になったということが分かります。
これより古いBU04は直線塗分けに塗り替えられたというのに。
また、松本電鉄のBU04は、Highland Shuttleカラーになって長野五輪後まで生き延びたというのに。
諏訪バスのCLMが旧塗装のまま早々と廃車になったのは、当時、京阪バスから冷房付きの中古車が次々に入って、非冷房の在来車をどんどんと駆逐して行ったことが理由です。
初期に入った京阪中古車でさえ、京阪中古に押し出されて、短期間で廃車になっています。
諏訪バスだけは景気が良くて、順風満帆の経営だったのか。と多くの人が思った(かも知れない)わけですが、本当にそうなんでしょうか。
時はバブルの末期。駅前再開発で大型商業施設が作られ、中央自動車道が全通するなど、関連事業での収益は急上昇した時期かもしれませんが。

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