Re:WEZARD TV petit
>”WEZARD”の冠を使ってほしくないですね。>SARD UNDERGROUNDは自分でYouTube公式チャンネル持ってるのだからそっちでやればいいのに、>なんでわざわざ『zardofficialチャンネル』『WEZARD』に侵入(侵攻?)してくるのか。>WEZARDはZARDのファンクラブの名前であり、SARD UNDERGROUNDは無関係でしょう。>ZARDの曲を後世に伝えてくれるのは嬉しいのですが、WEZARD TVで公開するのはちょっと違和感が有ります。>SARDの公式チャンネルが有るんだから、そっちでやるべきです。SARD UNDERGROUND公式チャンネルが無かった"当初"ならなんですが、(それでもBEING公式チャンネル(https://bit.ly/2QmfaBA)のほうでしょうね)公式チャンネルがあるなら、やはりそちらで"SARD UNDERGROUND TV"として公開するのがマナーですね。関連付けたければ、脇に置くリンクバーナーだと思います。名(ブランド)を冠するというのはそういうことかと。映像としては、いまどきの新人のプロモーションならこういう感じも時流ですが、これは、デビュー当初~1stALが発売される前に公開されるべき内容でもありますね。それだけでも、同じ内容でも印象はかなり変わっていると思います。今頃みせられても"取り繕い"に感じられる。それよりも"petit"といいつつも、本家"WEZARD TV"よりも創り込みがされていて違和感がある(笑えない)。 楽曲を聴いた時からなんとなく感じていたのですが、、今回のYT映像の会話から確信になりました。楽曲を聴いても心に響かずいいねとならなかった訳が。"悪い意味ではなく・・・・感情移入し過ぎないように歌っている""感情が優先して・・・""歌詞を感情移入して伝えようとすると、・・・大変だよね・・""(歌詞を) 伝えることを優先に・・""すごいね"語彙力がないのでうまく伝えられないですし、偉そうなことは言える立場ではないのですが、、路上ライブやライブハウスで歌っておられるトリビュートバンドの方々は、泉水さんへのイロイロな想いも意識も高く、おそらく相当の感情移入の高ぶりのそれを(受け入れて)超えて、でブレない歌唱で詞の世界/物語を想い描き歌っているのだと思います。また聴き手を想う(へ伝える)心も懐きながら。聴いている人は、それとシンクロした瞬間、感動で心が揺さぶられるのだと思います。感情移入は排除ではなく超えなくてはいけないのだと。。うまく歌おうとするだけでも、単に歌詞を歌い伝えるだけでも、駄目なのでしょう。作詞をしているときに詞の世界(物語)の意識と相応の感情移入はしているはずですから、感情という心、それを踏まえなければ伝わらないのかもしれません。また誰のために向けて歌い発信しているのか。これも重要ですね。 >思えば昔のアイドルなんかデパートの屋上のちっさいステージで「ヨロシクお願いしまーす」とか言って>やってましたよね。デパートやアイドルから、、今は多くが声優さん・ショップに様変わりしましたが、人気・有名・新人問わず、声優さんが行なっている販促イベントはそういう感じも多く、競争が激しく次に繋がる糧ですからとにかくマメに活動・情報発信をしているようです。シリーズブランド先駆者がいて、それ(ブランド)を継承しつつ自身の道を輝きを求め日々精進し、多くのファンの心をつかんでいる方々もいます。人気のある方々は輝きもあり感謝も忘れていない。安易なもしくは政治的なキャスティングやシナリオや茶番はかならずバレる(影響する)と言われる世界です。ファンという者は繊細で敏感なものです。さて、LaPomPonは、頻度は知りませんが小規模な新曲CD販促イベントなどはそこそこやっていた様な気がします。まぁそれだけやれば良いということでもなく、実力も、それ以上に新人の場合はオフィシャルの手腕が成果に現れるのだと思います。その後の活動が尻つぼみになってしまったのは・・・コナンの『謎』と『運命のルーレット廻して』のカバーは原曲によく合わせてあってそこそこだったと思います。(ルーレットは、TVver.(アニメver.)ですが、イメージを継承していました)他の時流のアニメタイアップが採れなかったのはこの手のガールズユニットには昨今は痛手ですね。 >事務所が組んだユニットでもリスペクトを売りにするなら相応の覚悟でファンを味方に>付ける努力を見せて欲しいものです。カバー/リスペクトでなく、他のアーティストと自身の楽曲で競っていくならば、同じでなくてもいい、同じじゃ駄目なんだ、私たちは私たちの道を駈け抜けて行くべきなんだでいいのでしょうが、すでに実績と実力のある有名アーチストがするカバー/リスペクトと違って、新規アーチストがするリスペクト場合は、元のアーティストのテイストとマインドを尊重し理解し、先駆者がいるならその活動を見て学び、すでに居る多くの元のアーティストのファンとすでに活動しているリスペクト/トリビュートバンドの方達も含め、ファンからの「一緒に楽しもう」と"Well come"状態の雰囲気に、、味方につけてから本格的にすべき、、、もし、肝心なプロローグのところを端折って飛ばして、元アーチストのファン(の心情)が置き去り状態になってしまった場合に、その後どうなるか。。。ということ。通常の新人と同じやり方や、インパクトが(話題性が)あればいいというものではないという事ですね。元のアーティストのファンがついてこなければ、反感がついてまわります。もしかしたらそこそこのWin-Winに化ける土壌があったと思われるのなら勿体ない感じですね。 蛇足ですが、"d-pro"の時もファン(の心情)が置き去りになった案件なのだとも思います。もし、"(当初の)泉水さんオンリー歌唱のCD"+"ゲストアーティストDuo歌唱のCD"の2CD構成だったなら、また違った結果と可能性がでたのかもしれません。(まぁ"たられば"ですが)商学に物や経済学だけでなく、心理学が重要であるゆえんでしょうね。ボタンの掛違え。取り繕い。驕り。という言葉があたまをよぎっています。